今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Sontak 二人の大臣の言い槍合いNyinyiran

先日インドネシアソブリン・ファンドの成立に関して掲げた写真はオムニバス法反対の学生デモの様子であったが、それは20年10月12日のNewswireの記事の
“Nyinyir dengan Aksi Demo Mahasiswa Tolak Omnibus Law”より頂いた写真である。先ずはこの記事の中のインドネシア語のNyinyirであるが、ネットのGoogle翻訳では翻訳できてない単語であり、妙な感じがあるのでGaulなのかと思ったのでこのブログとなった。

既にこのように新聞での言語としても使われており、KBBIなどには何とか出ているのでそれを紹介すると。


その意味は mengulang-ulang perintah atau permintaanつまり命令や要求の繰り返しである。
同義語として nyenyehや cerewetが出ているので正式な要求というより、おしゃべりに近いのだと思われる。
例文はnenekku kadang-kadang -- , bosan aku mendengarkannya;がある。さしずめ、私の祖母は時に繰り返し要求するので、私はそれを聞くのにうんざりするとでも訳しておこう。

名詞系はkenyinyiranであり動詞形はnyinyiriがあるようだ。
KBBIの日本語の命令や要求の繰り返しは冷静な判断での意味のようだが他の用例を見ると、むしろいじり、やじり、むちゃ振り、或いは甘えに近いのではないかと思える。日本語の忖度の感じは全くないが、インドネシアのSontakは突然の意味乍らついでにタイトルに付けただけのものである。

 

先ずはこの新聞Harianjogjaのタイトルは或る学識者Denny Siregarが学生のデモを皮肉ったようmenyindirで、98年頃の学生は情勢をよく理解したうえであるが現下の学生はその理解が足りないとcelaan非難のTweetしたところ突然多くの反応があったと言うものである。
反応の多くは今日の学生の役割に疑問を呈したものが多いが、「違いは、当時議会は国民を支持していたが、今は議会が宮殿にいるということだ」というものが面白かった。

他nyinyirの用例を探すと;


Mantan menteri koordinasi bidang kemaritiman Rizal Ramli dan Menteri Keuangan Sri Mulyani tak henti-henti saling berbalas 'nyinyiran'と言うBisnis comの2020年11月の記事でコメの配給の討議であるが、タイトルではこの二人の大臣はいつもの言い合いを今回は止めたと言うものでラムリ元経済大臣はこの債務の女王“Ratu utang“とか二国間債務の乞食'pengemis utang bilateral'とやり込めていたが、今回はスリ・ムリャニの声明をmembenarkan容認したとと言うものである。

その他に
Dicopot Akibat Istri Nyinyiri Wiranto
ウイラント司令官をいじった夫人のせいで首になった3将軍とかいうものや
 
Nyinyiri Nikita Mirzani, Kiki The Potters: Awas Minum Baygon Lagi
というのもあった。こちらは有名セレブ女優のゴシップだから面白そう。

 

又ブカシのGrand Kemala Lagoonの近くにKepiting Nyinyirと言うレストランがあったがこの意味は聞きにも行けず不明のままであった。

インドネシアのソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)

 

 シンガポールの二つもある政府の投資ファンドの事をブログにしている間にインドネシアも一歩進んでいたことが解かった。

インドネシア政府系ファンドはLPIと言うが、LPIの設立の根拠法は2020年法律11号の雇用創出法第10章である。あのオムニバス法である。

この第10章は「政府の投資と国家戦略プロジェクトの簡易化」となってい居るが政府投資に関わる部分は第154条から172条に渉る。

その後この法律に基づきLPIに関わる政令が2020年政令74号として制定された。

政令74では設立の法源は法律11号の171条(3)と記載があるが実際は次の154条(3) b.項である。その中で目的などにも触れられているので併せて紹介する。

154条

(1) 中央政府の投資は、雇用創出の戦略的政策を支援するため投資を増強し、経済を堅固なものとするために行われる。

(2) 上記の投資の意味・目的は次のものを含む。

  1. 経済的利益、社会的利益の獲得および/または他の確立された利益
  2. 先ずは国家開発への貢献、特には国家収入への支援
  3. 利益を得ること。そして
  4. 一般的な便宜を提供するが、限りなき雇用を創出する。

(3)中央政府投資は以下のものによって実行される:

  1. 国家会計の長たる財務大臣
  2. 投資管理の枠組みの中で特別(sui generis)権限を与えられた機関

(4) 財務大臣が及び上記機関の長は以下の権限を有する。

  1. 金融商品;の形での資金の投入
  2. 資産運用活動の実施
  3. 信託基金事業体を含む他の当事者との協力
  4. 潜在的な投資パートナーを決定する。
  5. 融資の供与および受領や
  6. 所有する資産の管理

本法律では154条から164条を第1節とし政府による投資を規定しその中で投資機関設立をマンデートする他、第2節、165条から172条で、設立されるLPIの経営機関、資本について規定している。

上記3項の(sui generis)は特別な権限を与えられている文言でわざわざ付されたラテン語であるが、その意味する独特な点を探してみると162条(3)項にLPIは不可抗力と証明されない限り破産にすることは出来ないとある。

法律自体はオムニバス法として色々問題化され、労働者からも反対のデモの嵐に会ったが、考えてみると政府は労働者の為、就業機会の創設に率先した機関を作っていたとも言えたのである。

ソブリン・ウエルネス・ファンドに反対した訳ではなかった。

nyinnyir dengan aksi mahasiswa.. harian jogya.com

 

シンガポール政府GICの日イ不動産攻略

GICはシンガポール政府によって外貨準備を運用する為に設立されたソブリン・ウエルス・ファンドである。一方Temasekはシンガポールの政府が所有する投資会社(ソブリン・ウェルス・ファンド)であるとWikiが説明しているので両者はほぼ同じである。設立はGICが1981年Temasekは1975年である。会社の業種はGICはその他金融とあり、Temasekは投資とあるので、主たる手法に違いがあるようだ。規模的にはGICが3,300億ドルでTemasekがその約6割である。

インドネシアの不動産投資についてはTemasekはその投資先のCapitalandやKeppel Landの投資物件を把握出来たが、GICは構成にGIC Asset Management Pte Ltd、GIC Real Estate(Property )Pte Ltd、GIC特殊投資Pte Ltdがあるので、GIC Propertyを見れば解かりそうなものだがそう簡単にディスクローズされているわけでもないので個別のニュースを拾うしかない。
個別ニュースでは
* 少し古いが2014年Rajawali Groupと合弁で$500MilでGatot Subroto通りで複合施設を作ると言うもので中心がCapital Place Tower(53階、215m)とForuseason Hotelである。
* 2016年にはPT Mega Manunggal Propertyと合弁でジャカルタとスラバヤで倉庫事業の合弁($720m 500,000m2)。
*    2017年Intiland Group との合弁のSouth Squareの複合施設、本件に関しては“GICとIntilandのサウス・スクウエアー”としてブログにしており、これでGICも次の様に説明していた。

「GICというのはシンガポール政府の保有外貨などの投資運用を担当する国営公社である。 投資物件は当然株式や債券もあるが不動産投資が大きい。ラジャワリ・グループによるホテル・Four Seasonsがその一つである。この後2017年4月にIntiland Developmentと 40-60%でシマトゥパンで7.2haの South Quarterと言う物件に共同投資を取り交わしたが、ここでは20階建てオフイス3棟、商業棟、コンドミ2棟を建てる。そして続いて8月には同じIntilandとFifty Seven Promenadeと言う物件でコンドミ2軒を建設する。これにはGIC33%、Intiland 36%、そして残りを29.97%をPT. Galang Gema Pradana (Galang)が出資するそうだ。GICは、インドネシアにはあと最大のシネマチェーンにも2.6億ドルの投資協定を持っている他、画期的には中国のCITIC投資会社の5%shareを持っていることだ。このような政府投資会社はソブリン・ウエルス・ファンドというがシンガポール政府は2つもち、GICより有名なのはTemasek Holdingsである。」

GIC beli Indonesian....


不動産以外で特記はインドネシアの新進e-コマースのBukalapakへの投資案件$234mil及び急伸デジバンクへの投資$235milがある。

GIC beli Seibu...

日本への投資は、1996年の汐留シティセンターを皮切りに、2007年には福岡市の複合商業施設ホークスタウンを買収、2008年にはウェスティンホテル東京を買収しているとWikiでの説明にあるが、ごく最近西武グループからプリンスホテルや全国のゴルフ場など31物件を購入したそうだから大変だと思う人はネットを見たらよいだろう。

Bundを訪ねて港シャンハイ4部作

Raffles City The Bund, 上海

インドネシアでTauzia HotelグループやAscott を配下に130件に及ぶ施設を持つCapitaland Groupで最近のニュースとして上海のラッフルズシティ・ザ・バンドと言う大商業複合施設を作ったと言うのがあった。このBundと言う言葉は昔から分からないまま判ったふりをして来たのでちょっと調べる気になった。
上海は世界第2位の長江(揚子江Yangtze)の河口の西側にあり、この超大河の中の巨大な中島と面しているが、普通に上海の風景写真ではこの河もこの島も関係がない。

陸家嘴 浦東


関係あるのは黄浦江と陸家嘴である。 黄浦江とは長江に流れ込む支流のHuangpu Riverという、これも大河で上海市の中心を横切っている、その河が嘴の様にうねる内側が外灘(Waitan 黄浦区)で外側が陸家嘴(Lujiazui: 浦東Putong新区)である。そこの北部に流れくるSuzhouCreekがあるがこのCreekも黄浦河も上海の西側の隣町、蘇州や無錫の太湖を源流としている。
Capitalandが合弁で建設したRaffles City The BundのBundとはこの外灘の事であるが、実際はこのSuzhou Creekを越えた所にあり屋上から見れば足元に外灘の植民地時代の建物群が並び、また黄浦河を越えた浦東新区の高層ビル群を見渡す感じとなる。この高層ビル群の中には世界2位の上海中心(632m)や森ビルがある。
この外灘(黄浦区)と陸家嘴(浦東新区)が上海市の中心地区である。

外灘 Waitan Bund


このBundはこのように外灘の別名であるが現在も残っているのだ。残っていると言うのは私には、戦前歌謡でBundという言葉をおぼえており、丁度先週、このブログで戦前歌謡の満南3部作のx2の2編を書いていたので又、上海のバンドが出る歌を探し回った。上海といえば、私たちの世代では上海帰りのリルや上海の花売娘である。今どき戦前歌謡など検索する人も少ないと見えてYoutube でも中々ヒットしなくなった気がした。何とか辿り着いたのは、➀。津村謙唄の上海帰りのリルである。この歌には夢の四馬路(スマロ)の霧降る中でとしか出てこず、また②。岡晴夫唄の 花売り娘でも上海の地名は出てこない。

しかし上海の花売り娘 の歌い出しは赤いランタンほのかに揺れるであるが、この赤いランタンが付く、もう一つの歌があるはずだと歌詞を思い出しながらYoutube 検索した結果、タイトルに上海の名前が付かない③。「 港 シャンソン」という事が判った。同じ岡晴夫の歌で、歌詞は“赤いランタン 夜霧に濡れて ジャズが咽ぶよ バンドの風に 明日は出船か 七つの海へ 別れタバコはほろ苦い”という歌詞を完成出来た。(6) 岡 晴夫集《港シャンソン》 - YouTubeここにバンドが出てきており私などは、ひょっとして楽団のバンドかなと心配になったが。 やはりバンドは上海にある地名を表すものである事が判った。


それは将に英語であり埠頭のと言う意味の普通名詞であるが、欧米列強が上海を租借しまくったあの時代にこの上海の外灘の埠頭地区がその租界となり、今でもThe Bundといえばここを指す別名として残っているのだ。もともとはインドのウルドゥー語を語源とするそうでなるほどと思った。

上海帰りのリルに出てくる夢の四馬路(スマロ)の霧降る中での「四馬路」とは四頭だての馬車が通れる広い通りの繁華街と云う意味で当時は上海の海岸通りを“夢の四馬路”と呼んだそうだが、今は死語だろう。しかしあと一つの歌曲 ディック・ミネの➃。「夜霧のブルース にも“・・・夢の四馬路か 虹口(ホンキュ) と出てくる。青い夜霧に 灯影が紅く、青い灯紅い灯に血は騒いだのであろう。あと一つディックミネに➄。上海ブルースがある。 ”涙ぐんでる上海の夢のスマロの街の灯…“
ホンキュとは今でもこの地名があるが、当時は日本人が特に多く住んだ、各国との共同租界であったが上記のCreekを越えた北、CapitalandのRaffkes Cityと同じ地区で虹口区(Hongkou-ku)のようである。ここもBund外灘に違いない。このホンキュから浦東新区へ架僑があり、その地点から黄浦江の岸を上流へ3㎞辺りが南端となりここにも架僑があるがその二つの橋の間がBundとなる(広義、本当は南から1.5㎞まで)のだろう。(注:橋梁なのかトンネルなのかGoogle Map では不明)

Wardorf -Astria

この南端近くに往年の外人クラブであった上海クラブビル(1910年築)がある。今は、往年のマンハッタンのブランド、ウォルドルフ アストリア 上海 オン ザ バンドである。
紅い中国がここまで植民地時代の風物を残してくれた、理由はどうあれ、本当に感謝したいが、私にはもう時間もなく、七つの海へと漕ぎ出す元気もない。中国に申し訳ないと謝るしかない。行ったことがないので間違いがあればご容赦乞う。

Capitaland on The Bund

追補:24日:昨夜、Youtubeの朗読に谷崎潤一郎の「西湖の月」と言うのと出会った。出だしに上海出張の折り足を伸ばした西湖の巡りをしたと言うもので、小生の上記蘇州の太湖が間違ったのかと思ったのだが、調べると西湖は蘇州の南の杭州の街にある湖だったので間違いはなかった。

シンガポール政府ファンド・テマセクの力


先週17日にマイ・ブログ“ジャカルタ新旧”の「Ascottから Capitalandへ」で紹介したCapitalandは日本への三つの会社形態で進出しているが、シンガポールのテマセックという投資会社の子会社である。テマセクと言うのはウィキにもある通り、シンガポールの政府が所有する投資会社(ソブリン・ウェルス・ファンド)である。2012年3月の時点で380人の従業員がアジアを中心に1980億SGD運用しているとある。シンガポールの言わば国営優良会社の御守りの面もあるようにも見受けられるがTrustが主となろうか。シンガポールパワー(100%)、メディアコープ(100%)、PSA(100%)、SINGTEL,SINGPOSもあるがシンガポール航空(56%)やDBS銀行(30%)など優良企業を有している。この不動産のCapitalandは40%保有し他にKeppel(21%)もある。しかしこうした国内投資は全体の30%程度で国外投資の方が多いのである。
Temasekと言うのはシンガポールの古称らしい。シンガポールはこうした政府資金の運用投資会社があと1社GICと言うのがあり、巨大な利益を上げている。多分こうした利益が更に儲けの投資として本当の投資プロが運用して言うのであろう。Temasekは1974年設立の歴史があり、2019年のポートフォリオはS$3,130億で15会社(Stock)と10のTrustで10年前はS$1,830億であった。
これをソブリン・ウエルス・ファンド( SWF)というが原資は石油など資源収入や外貨準備である。日本は莫大の資金はあるが、稼ぎ出す専門プロが居ない、或いはその高い報酬が出せないとかでまだ設立されていない(或いは別の形でもっといい成績をあげているのだろう)。
インドネシアはオムニバス法の一環で設定されたのを記憶している。
ちなみに3国の外貨準備高を比較してみると、日本1.4兆ドル、シンガポール 4,250億ドル、インドネシア1,449億ドルである。
Capitalandのインドネシア不動産分野への投資状況は前回ブログで総覧したので、次は、今迄散見したGICやKeppelランドも纏めねばならない。

ラヴェルのボレロを学ぶ

前日のMy Favoriteの“懐かしのボレロ”の歌は、考えると何故ボレロか判らない。と言うよりボレロが判らないのでラヴェル作曲のボレロを聞いてみた。

この歳になって初めて接した巨大な力に圧倒される。

小太鼓がタタタタン タタタタン タン タン タタタタン タタタタタタタタタタンと、このセットが169回繰り返され、最初のささやくような音から最後は大太鼓も入れた5枚太鼓の大たたきで終わるがその変化する中、フルートから始まる色々な管楽器が二つのメロデーを同様繰り返していく、PPから徐々にバイオリン等弦楽器も入り最後は総勢100人くらいがFFでドンと終わる大オーケストラであった。
謡曲の懐かしのボレロは、発祥のスペインの風情が懐かしいのだろうか、歌詞からは何となくそう感じるだけで何故ボレロか分からない。

服部良一作曲の懐かしのボレロで思い出した南のバラは、米山正夫作曲であるが二つともよく似た曲風で軽快なワルツ調に聞こえた。かく云う私はコロナ前、80近くになって始めて私にリズム体感がないことを知ったことが有ったのでので、おまかせするが、1曲目のボレロは 2曲目のスペインの国という事で二つが繫がることに妙に感心した。
タタタタンのリズムを書き写したことが今日の収穫である。
画像はNHK交響楽団だが映りが少し劣るので少しいい方のBBCの音源をアップした。

ボレロwikiによると以下の通り、スペインゆかりのリズム舞曲とある。

原義 Boleroとはスペインで18世紀末ころにセギディーリャの一種として作り出された3/4拍子を特徴とする舞曲である。

懐かしのジャワの ボレロの 南の国 懐かしき歌声

先日のMyFavourite Songの満洋三部作は、メロデーがよく似た「いとしあの星」と「満州娘」及び歌詞がよく似た「南の花嫁さん」としたが、その時、懐かしの戦時歌謡をサーチングする中、南洋のど真ん中、ジャワの風景にで出会った。この日本の懐かしの歌謡曲の中でジャワ風景を見るとは思いもしなかったので思わず気に留め聞いてるうちに直ぐ、これも望郷の彼方に消えていたお気に入りだと気が付いた。
真珠の首飾りと言われた時代のジャワは、オランダ人がこれでもかと言うほど記録映像を残しているが日本の占領時代は戦争中でもあり、国策ニュース程度しか見たことがないが、この画像ではジャワの踊りや文化を尊ぶ日本女性の奥ゆかしさや戦塵に翻弄される夫人の姿が偲ばれる。



タイトルは懐かしのボレロである。聞くほどいい歌だと何度も聞いた。今はそれを又思い出せず急ぎ歌詞を書いておこう。
“南の国 唄の国 太鼓を打て拍子を取れ楽しき今宵 南の星十字星 愛しの瞳に似て 輝けるは愛の光 今宵もあの空に 高く響け思い出の 懐かしのボレロよ”
 

レコードに併せて歌っているときに“南の国 スペインの・・”と言う唄がふと口の端に出てくる。
そうだ!それも懐かしき私の幻の戦時歌謡であった。
それはタイトルが“南の薔薇”、歌い出しは “南のバラ そよ風に 微笑む君の姿。。であり最後の章が“ 南の国スペインの 君は優しのバラ” というものであった。
南の薔薇 - YouTube

ここまでくると三部作に仕立てるには同じ藤山一郎が歌うあの歌ずばり“懐かしの歌声”である。
歌詞は“銀座の街 今日も暮れて   赤き灯燃ゆ 恋し東京 恋し東京 。。。風よ運べよ 愛しの君へ”
https://www.youtube.com/watch?v=2MZ4pGnMdXo


一曲目は服部良一作曲 唄藤山一郎、2曲目は米山正夫作曲 唄近江敏郎で、3曲目が御大、西条八十作詞 古賀政男作曲、これも藤山一郎歌である。いずれも軽快な明るい曲である。ここもいとしが出た所で今日も懐かしの3曲に出会った幸運の喜びに浸った。
真ん中の歌は昭和23年だが、他は私の生まれる一寸まえである。この歌を歌っていても誰も戦前とはおもわないのではないかと力が入る。

注:1曲目は昭和14年か 只映像が日本占領期(昭和18年以降)なのでふしぎだが、多分何か事件があり、それを昭和28年頃映画化(タイトルは偽らざる云々)したものの様である。歌手も藤山一郎とは別のひと。

2曲目は昭和23年リリースのももの。本文の戦時歌謡は戦後を含む戦時のことである。