先は暗いがそれならと現在のPT Arthavest Tbkの株主を見るとLucas SH CNと妙な名前である。Lucas SH and Partnersに違いないが、相手が弁護士なら追い込みもここ迄と諦めるしかないかもしれない。弁護士の名前を借りているとしか見えないが、そうせざるを得ないのはだれだろうか。
ジャカルタ、プチェノンガンのHotel Red Topと言えば懐かしい気もするが、まず何かの切り抜きにJalan Pecenongan 72 te Batavia in april 1922 De beroemde en duurzame drukkerij, G. Kolff & Coなる文言があったので、検索しても当該記事はないもののG.KolffについてのWikipediaがあり、Kolffだけで昔、2011年3月 4日 にブログにしたKOTAのKali Besar Timurにあった“最も古いブックショップKolff” でJuandaに支店も出したことを書いているが、多分、それがここプチェノンガンだったらしい。
とに角、Hotel Red TopがあるJalan Pecenongan No.72にオランダ時代のKolffというBookshopがあったようだ。 Bookshopというから単なる店と評価が低くなるが1848年から長く発展したオランダ時代の書籍、印刷、新聞発行までおこなったロイヤルの名称を許された由緒ある企業であったのだ。
Bank Niagaは金融危機当の前、総資産8兆ルピアでバンク・バリと並ぶ民間6位であった。この銀行はプラボヲの兄のHashim Djojohadikusumoが所有していたが、外国債務返済が出来ず国有化され、最後外国銀行のCIMBが購入することになったものである。しかしDjojohadikusumoがこの銀行を買ったのは1997年で売り抜けた感じとなったのは、時の財閥 Julius Tahijaである。ユリウスターヒャは1916年生まれ、2002年になくなったが、波乱万丈の伝記を読むと熱帯の地で生きた人生が我が事と引き比べ思い浮かべている。