ジャカルタ新旧あれこれ
Blok-PのJan Darmadi氏邸宅にふれたのはついこの間のブログである。 Blok-PのSavyavasaはJDCのアパート そこで私の宝の地図を紹介したが、今日はひょんなことからArya氏のブログで完結版を見つけた。 Arya's Journey – TRAVEL – FOOD – ET CETERA それは1948…
影のない4日間のマイブログ ここのところ何日間はブログから姿が消えていたが、それは4日間ほどデータ ミッシング事件でパソコン アンタッチの期間となっていたためである。家から出ることもなく、私自身がミッシングと思われるのを解くため、今日、ブログ…
ジャカルタのショッピングモールで閑古鳥が鳴いているところがある一方、新規モールのオープンも続いていると報告したが補足がいるようだ。 ショッピングモールとは小売りを主体とする商業施設で、多くはメイン・テナントにスーパーやデパートなどを持ち、多…
Pantai Cilincing zaman dulu (wikimediacommon) チリンチンは名前も涼やかな、知る人ぞ知る嘗てのビーチ・リゾートである。こう書きだした訳はVOIの記事に添えられたPantai Cilincing zaman duluという昔の写真である。 オランダの夫人が運河添いの道をハイ…
オランダ植民地時代のLandhuisと呼ばれた郊外別荘の走りは、1940年に建設されたLandhuis Cilincing であろうか。 Landhuisというのはバタビア城の塀の中で住んでいたオランダ職員・軍人達がそこから脱して外部に休息の別荘を設ける時代になって行き、その意…
St. Cirebon 1911 Google インドネシアの駅舎は多くがオランダ時代に建設され今日まで保存されているものが多い。誰もが知っているジャカルタはコタ駅からバンドン、スラバヤ、ボゴール、スマランは訪れるチャンスはあったが近くでは訪れることは出来なかっ…
Bank Indonesia Batavia 2006 インドネシアの中央銀行Bank Indonesiaは何度もブログしているが2008年頃だったか、その頃「薄汚れて長く気が付かなかったコタの旧インドネシア銀行本社が改装を行い博物館としてお目見えしそうである。」として私の文献に記録…
Pecenonganの成り立ちのブログでAlwi Syahab先生のEssayを思い出したとして又蘊蓄をお借りしたが、先生の名前は本当にひさし振りで、今更ながらWikipediaに尋ねるとなんと2020年9月にpneumoniaで、お亡くなりになっていた。小生もコロナでインドネシア行きは…
Pecenongan 2008 プチェノンガンのHotel Red Topから、そこにオランダ時代のToko Buku、Kolff &Coがあったことは書いたが、その時Pecenongan Menjelang Abad ke20というAlwi Syahab教授のESSAYを保存していたことを思い出した。この記事では、なぜここがにぎ…
2022年国家英雄の5人の中の一人、K.H.アフマド・サヌーシは独立英雄ともいえる。紹介文に彼は、独立準備努力調査機関(BPUPKI)のメンバーであるという事だからである。所がこの紹介は不十分である。というのはBPUPKIは62名もおり、言わば議員に過ぎなく議員だ…
2022年国家英雄の称号を与えられたH・R・スハルト博士はインドネシア共和国の初代大統領の個人医師である。 1942年以来、彼の任務の間、常に世界中、スカルノに同行している。 外交面で付きっ切りのチャウツーモー特使の回想録をめくったが、裏方の彼の名前…
G20で多忙中、そんな暇はないと思ったが、今年もちゃんと国家英雄を選んで、叙勲式も終らせた。先ずは誰かという事で名前を書くと; dr. H. R. Soeharto Sastrosoeyoso(1908~2000) KGPAA Paku Alam VIII(1910~1988) Salahuddin bin Talabuddin(1874~1948) …
MAKO Brimob Kwitang MAKOをグーグルすると可成りの真子さまが出てくるようになった。夫君に負う所があるのだろう。数年前留学する彼にエールを送った頃は10人に一人くらいだったろうか、今は5割くらいには増えたかも知れない。次は法をのりこえた大岡裁きを…
図らずも知遇を得た井口教授より、彼のホームペイジの“ジャワ探求”にアップされたニュースの幾つかを案内頂いた。そのひとつが「戰死日本兵慰霊碑」というもので1942年日本軍がジャワ進駐しオランダ軍を攻略した直前、ボゴール方面に進んだ日本軍部隊の兵士3…
Sudirman 通りの1975年頃の写真があった。中心に建つのはWTCである。今はWisma Metropolitan Iと言うのだと思うが、広い敷地を確保しゆったり駐車場に利用している。正面のSudirman通りの上りは、まず当時Probosutedjoが持っていたビルだったと思う。小生は8…
Langham from equity tower ランガム・ホテルが9月9日にジャカルタSCBDにオープンしたニュースを聞いて、それは直ぐアグン・スダユのDistrict 8だなと言うことは直ぐわかった。ジャカルタ2番目の高層ビルTreasury Towerのすぐ傍である。或いはSCBDのSudirman…
25日に、チョコレートの話をしたが、今日、日本の輸入元の最大国のガーナについてのニュースがあった。 2日前インドネシアのスーパーミーの話もしたがガーナでは 今このスーパーミ―が大人気で若い男の子が女の子を誘うのに一緒にスパーミ―を食べようと誘うの…
読んでいる小説に供独鈷に五寸幅の博多帯なる言葉が出て来た。ここからジャカルタにつなぐのはやっかいだが、まずは思い浮かべるのは 水前寺清子のいっぽんどっこの歌である 例の “襤褸は着てても心の錦どんな花よりきれいだぜ~男ならやるぜこの道どこまで…
Numeous World heritage in IndonesiaインドネシアのKEK Pariwisata 30リストを作って“ジャカルタあれこれ”にアップしたが、この中の大手は殆どブログにしている。 世界遺産は世界全体で1073ケ所あるそうだがインドネシアはたった8ケ所しかない。その地位を…
旧「ジャカルタ新旧あれこれ」 新「ジャカルタ新旧あれこれ2」 追記; お知らせこのブログは今までNiftyのココログ「ジャカルタ新旧あれこれ」で書いてきた続きとして特に日本や世界との関連ある事項を中心に書くことにしました。従来のインドネシアの歴史…
初申し込みから丁度10日、やっとこの投稿頁にたどり着いた。 他のブログでいつもジャカルタ中心の事ばかり書いてきたが、小生からジャカルタを引くと何も残らないのでせめて日本との比較や関連を盛り込んで書いて見よう。 世の人々の動きは早く或いは長くよ…