ジャカルタ今昔 日イのはてな

ジャカルタ中心にインドネシアの報道からその今昔と日本・世界への繋がりを探る

プラウ・スリブ観光に期待

3月のニュースでプラウスリブのニュースを二つキャッチした。3月中にプラウスリブを訪れた(観光)客が急増したということで例えば2月で21,000人が3月は36,000人になったというもので、他の一つはジャカルタから近い島のBidadari、Onrust、Cipir、Kelorの1806年前後の蘭英の戦争の歴史を触れたものである。特にBidadariはその前からバタビアの流行病に罹病した人々を収容する病院もあったそうでPulau Sakitと言われていたそうだが、Onrust等には今でもBenteng Martelloと言われた砦が残っている。蘭英の抗争については別途小論「ジャワをめぐる西洋の抗争 その3」に詳しいのでそちらに譲る。

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Map Pulau Seribu Sheila
プラウ・スリブというのは千の島というが数えた人はいないようだ。現地の旅行会社Sheilaが名前がついている島のリストと代表的島のマップを作っているが名前のある島だけで110を数えている。 最北はPulau Sebiraで或いはJaga Utara(北の監視人の意味)とも或いはオランダ領当時の同じ意味の名前Noordwhatcherとも言うようでジャカルタのアンチョールマリーナから126㎞もある。そこから25㎞程陸に近づくとP.Duaと言うのがありこの名前のシーフード公園がスナヤンにあるのを思い出した。
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Pulau Putri、PT Sheila
ここから又南が、大昔小生が行った島で当時JALが保有していたが、その名前はPulau Pantaraである。ここには40のCottageや大きな海上カフェなどあり立派だ。小生のブログの記録ではその後A. Graha所有になっていたが、このあたりにあるHarapan 島、Sepa島、Pelangi島、Putri島など昔から有名で、P. Putriには海中水族歩道がある。それから未だ南にもPramuka島、Tidung島、Untung Jawa島 限がない。島々の様子はSheila社のペイジが充実しており写真と地図を借用した。 
その中で沖のある島を繋ぐブリッジなどを見ているとマディソン郡の橋まで連想するが、出来るならこの千の島のどれでもいいから今すぐにでも行って長居して見たくなる。そういえば東京にも南の島々があることを思い出した。