今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

墨東の大正通りの今昔

Jalan2 Jalan Taisho
東新宿に行くことがあり大江戸線とあり、いつも練馬に行く時、門前仲町から都庁前を通って北上する路線と確認していた所、目的地を探す段になり、これがないので慌てた。 googleで何度か検索するうちにやっとそれが飯田橋からやってくる路線上に発見、今、また大江戸線門前仲町から北に上ると両国・春日を通って飯田橋をまわっており、その手もあったことが分かった。目的地は東新宿とその一つ手前の駅 若松川田との中間であり、その間をつなぐ大きな通りがあり地図では302号とか新宿・両国線とあり真ん中の抜弁天から少し南に下りながら九段に向かって最終は両国にくる道である。
調べるとこれは又の名はあの靖国通りであり、そして以前は大正通りと言われた道であることが分かった。 東京には明治通りとか昭和通りはよく知られているが平成道路もあるようだが、この大正通りが一番知られてないだろう。その通りに小生は昨日立った訳だが、その前日わが故郷の作家の墨東奇譚(奇は糸へん)を読んでいる時、気になった大正道路が思い出された。不思議な因縁である。 f:id:nishimikyohei:20190717203724j:plain
作家が忍んで通った家は寺島町7丁目であるが、その地名は今はなく東向島あたりだろうとおもう。Google地図を見ると白髭橋からやってくる306号線であり、その少し上に今でも大正通りがあった。しかしこの306号は302号の北であり、当然別のもの、別の大正道路となる。

この大正通りの先は意味ありげな いろは通りであるがこれが玉ノ井であり、作家の作中人物がなじんだ街である。 ところがもっと驚くことに306の先は、明治通りとなっているがこれについては作家は何も触れてない(小説の脱稿はS36年)。多分戦後になって明治通りがこちらに伸びて来たに違いない。そして作家が触れているのはそこよりずっと南の吾妻橋を越えた道が出来てこれをまっすぐ来ると寺島に出ると書かれているが、この北が言問橋でむしろ吾妻橋から北にまっすぐくると向島1丁目から5丁目と上がってくる道があるのでそれの事だろう。 
昭和初期までに浅草裏手の銘酒屋が行政指導で殆どこちらに移ってきて一大花街が出来たようで西見番という芸妓組合が出来ていたことなどが触れられている。
これが小生を結び付けた底にあった事実である。“見”は“検”のミスタイプではない。
ここ迄書いてもインドネシアは出てこないのが残念だが、バタムにも検番が必要のようだ。挿絵は木村荘八画伯