今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

いつから災害大国

Ditelan bencana tanah ini

先週の台風15号は小生の家を越えて房総を抜けていったが朝起きてみると樹木の枝などの折れたのが散乱している程度で胸を撫でおろしたがTVを見るとTVも災害どこ吹く風の関係ない番組ばかりで、その内少しずつ災害の程度が解り房総全体が停電で回復も長期になることがわかり、慌てで友人にお見舞い電話したのが2日後だった。全く今の為政者やTVはのんびりしている。毎年災害の度にこれでいいのかと反省すべき事項が思い出させるが、我々幼少の頃は江戸時代の治水の恩人で尊徳様や瑞賢様を知っており、将に幕府も各藩も治水こそが住民と藩の命を守る最大の目標であったのだ。これが小生が昔も書いた自衛隊を災害防衛軍として格上げすべきということに尽きてくる。災害地は発信能力がないためこの防衛軍が直ちにスクランブルすべきであり、すぐ重機を以て出動すべきであるということである。今頃電気自動車を40台出すとかいっているが、それも必要ではあるがこの救援の他に権限を以て予防に力を入れねばならない。 予防に触れたTVはなく国民はあきらめているが、2度と犯さないと言い逃れる日本語も、もう許さるべきではない。きっちりした予防計画を出してほしい。 それが常時治水に従事する組織が必要ということである。原因究明にも何物にも屈しない住民安寧を第一義にした対策を打ち出すべきだ。治水とは洪水対策だけではない、高潮、津波地震などによる地滑り等々昔から全ての災害が対象となるのだ。電柱が一度に10いくつも倒れているが、倒木や風によるものではない。人間でも複数の人間(電柱)が手を(電線で)つないでおればより強くなるはずだ.。又倒木、地滑りはその警戒地は災害前から分かっている。 それを対策できるのは災害防衛省しかない。
都市でもすぐ床上浸水が続出するが雨が河川に流れなくなっているからである。

ジャカルタですら定期的にチリウン河の浚渫などやっている。
そしてEbietの歌で反省が足りないのだとつぶやいた。
Mengapa di tanahku terjadi bencana
Mungkin tuhan mulai bosan melihat tingkah kita
Yang selalu salah dari bangga dan dosa-dosa
どうして、我が国土に災害が襲うのか
神も我々人間の行動に見飽きたからか
いつも慢心で間違いを犯すばかりだ。

反省すべきは我にありだろうが、せめてスクランブルと重機出動をお願いしたい。

追:日本の治水の歴史はそう簡単な話ではないようだ。尊徳様も利根川利水の提案こそおこなったが救民、財政改革とかの経世が中心であったように治水よりも利水、或いは上流・下流、対岸との調整もあるようだ。先を急いだっだようだったのでトーンダウンはすべきだろう。(反省すべきは我にありは当たっている)Oct.