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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

多摩とは、こんなにも広い

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daerah tama > old tokyo 23ku
戦時中の昔の地図を見ていて、多摩地区は陸軍航空部隊の地区だったようで北は所沢飛行場があり少し北は陸軍航空学校、南は南多摩の府中に陸軍火薬製造所、中心が立川飛行場や関連諸施設がある立川である。後に富士重工となる中島飛行機も調布にあった。西は多摩川近くに多摩飛行場があった。
これらは当然全部米軍が接収したが、多摩飛行場が米軍極東軍の本拠横田基地になり、立川の東半分が自衛隊駐屯地・警視庁と消防庁の航空基地で西半分は昭和記念公園となっている。
陸軍火薬製造基地は米軍多摩サービス施設となったが現在も米軍専用多摩ゴルフ場がある。多摩市になる。浅田次郎作{日輪の遺産}の現場である。
多摩というのは3多摩とも言われるが、東京の区部より西の大半であり、大昔の明治26年に神奈川県から東京市に移管された広大な地区(1,200km2見当)で、現在人口で言えば都民の1/3が住んでいる地区になる。北多摩とか南多摩という旧の郡名は今は単なる通称であるがその地区は全て何らかの市を称している。日の出町などで有名な西多摩のみが北多摩郡として残っているということが解り、今まで例えば多摩ニュータウンや田園調布で混乱した大元がこのことであったのかと氷解した。
北多摩・南多摩は全部で26市の市になって郡で残るのは西多摩郡だけである。大きさの比較をしておくと:最大市は八王子、最小は狛江である。
西多摩郡 375㎞2 人口56千人
八王子市 187km2 人口577千人
狛江市   6km2    84千人
調布市   21km2   239千人
ブカシ市  210km2  2,378千人
ボゴール市 109km2   952千人