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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

元和の利根川東遷

Tokyo river edogawa from tonegawa
昨日のブログの「東京環状道路網」の一つ、明治通りが墨東辺りに迄でもあることに驚いたことがあり、更にこの辺りに大正通りを発見しブログにしたことがある。 昭和通り日本橋近くを北上する所にあるので、あとは令和が気になってくる。所で、小生は未だ令和に慣れずどうしても江戸時代の似た元号に出くわす。
元和 1615年頃 
天和 1681年頃 
明和 1763年頃
享和 1801年頃  これらは小説などに出た年数なので頃としておく。
唯元和はげんなとよぶが、河村瑞賢の時代(元和4年生まれ)で彼は奥羽地方の米を江戸や大阪に輸送する航路を始めて、富を為したが淀川などの治水事業にも貢献したことは間違いない。
先般房総の台風災害に際し、9月17日「いつから災害大国」というタイトルでいきりたったが、日本の治水の歴史はそう簡単な話ではないようだ。二宮尊徳様も利根川利水の提案こそおこなったが救民、財政改革とかの経世が中心であったように治水よりも利水、或いは上流・下流、対岸との調整もあるようだ。先を急いだようだったのでトーンダウンはすべきだろう。それにしても、日本の課題は多いし無くなることはないようだ。
元和と言えば、そして利根川と言えば、利根川東遷の事業がある。東京へ流れ来る利根川を銚子に流れを変えた事業である。 その地図を見て成程東京の洪水対策は江戸初期からやって来たのだなと安心したことがあったが、今近づいている台風15号など記録的な台風次第では、中央区まで大洪水になる予想などが報道されており、この、先延ばしにしていた小生の学習の課題「東京千葉の洪水の可能性」が喫緊の問題になって来たのだ。それはさておき、昨夜何気なく見た家康の江戸建設についてのYoutuberで、奥州からの物資の航路で黒潮とぶつかる犬吠埼あたりから危険度が高まるので、それが利根川東遷事業とも関連していたことである。東遷なった利根川の河口の銚子港から利根川を遡上し江戸の北で江戸川に移る、より安全な航路があったということである。 
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自宅付近はこの江戸川があり、毎年洪水に見舞われたこともあり大正時代に放水路が引かれたが、この放水路を江戸川と言い元の江戸川は旧江戸川と言い浦安に抜ける。自宅の洪水の準備に取り掛かるため、また続きとする。

追補:10月13日;江戸川は延長60㎞、利根川とは野田付近の関宿で分流する。 後代、取手との間に利根運河が出来る。
中央区までの大洪水:TVチラ見であるので正確には解らないが江戸川と荒川が同時に氾濫する未曾有の洪水を言うようで中央区など他人事でないことを今日知る。