今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

一本独鈷とBassura

読んでいる小説に供独鈷に五寸幅の博多帯なる言葉が出て来た。ここからジャカルタにつなぐのはやっかいだが、まずは思い浮かべるのは
水前寺清子のいっぽんどっこの歌である 例の “襤褸は着てても心の錦どんな花よりきれいだぜ~男ならやるぜこの道どこまでも“である。それに、畠山みどりの出世街道もある。こちらは“やるぞ見ておれ口には出せず~どうせこの世は一本独鈷”であるがどちらも星野哲郎先生の歌詞だが、極道、一本刀、大相撲に繋がる、独孤の生き方に繋がる。冒頭の独鈷は、男用の博多帯で真ん中に一本横棒を走らせた角帯で小生も30年代まで持っていたがどこにいったのか、ただびしっと決める気持ちよさは思い出させる。この模様は所謂縦杵で、インドラ神の武器の金剛杵のデザイン化であるが、このこんごうしょのサンスクリット語がヴァシュラでありBassuraである。このBassuraはこのブログでも2015年3月18日にBassuraスーパーブロックとして書いているが、これが語源だったのである。Synnthesisグループと言うローファイルな不動産開発グループの手掛けるもので、小生もここに住んでラーマングンゴルフに行きたいものだ。しかし今は完成して近所を渋滞に巻き込んでいるのだろうか。


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追記:210221;

このBassuraは12神将のバシュラに気に取られ、もっと日本でポピュラーな言葉だと気になりながら一本独鈷(の金剛杵)しか触れなかったが、昨日、読んでいた司馬遼太郎の箱根の坂にバサラとして出て来て、それは鎌倉~室町時代の社会風潮を表す古い言葉であることを知ったが、もっと現代人には田村由美による漫画バサラとか色々知っている事だろう。