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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ユニリーバの全て

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ユニリーバ(Unilever)と言えば世界中で400以上のブランドを製造・販売し、1日に25億人が製品を使っている巨大企業だと言われている。インドネシアで言えばPT. Unilever Indonesia(UNVR)の紹介文には、石鹸、洗剤、マーガリン、乳製品、アイスクリーム、化粧品、茶系飲料、フルーツジュースなど同社のポートフォリオには、Pepsodent、Pond's、Lux、Lifebuoy、Dove、Sunsilk、Clear、Rexona、 Vaseline、Rinso、Molto、Sunlight、Wall's、Blue Band、Royco、Bangoなどのブランドがある。茶系飲料はⅬiptonであろうので付記しておくが乳製品には生ミルクやチーズなどはないようだ。ミルクと言っても中国からなどの輸入粉末ミルクでミルクティ、牛乳入り石鹸、ローション・クレンジングミルク化粧品などに使われて居ようか、化粧品だけでもブランド力はロレアルに続く2位であり、日用消耗剤、食品など多角的に扱う企業全体の時価総額で言えば世界第50位である。PT. Indonesia Unileverの時価総額インドネシアで4位に位置する。インドネシア財閥は多くの複数企業を擁する形なのでグループとしてユニリーバを越えるのが多いため、その陰で見落としていたインドネシアの大企業なのである。そのインドネシアユニリーバ時価総額は271兆ルピア(2兆円)であるが、ここで比較の意味でいくつか挙げると、上に行く2番手がTELKOMの350兆、下のAstraが255兆であった。日本の化粧品王手資生堂は2.7兆、洗剤王手の花王は3.7兆円あった。胸を下したが、日本の企業は本来、英蘭の本社と比較するべきであった。
ユニリーバは古くインドネシアにも1920年代から商品を供給しており、現地展開は1933年からの歴史であるが、その歴史から迫って見ると;
1967年 新外資法適用でPT化
1982年 上場したのも市場の歴史の幕開け時代である。
1988年 浴用石鹸工場のスラバヤへ移転
1990年 身体ケア用品懐紙、SariWangiお茶ブランド入手
1992年 Conello and Paddle Popアイスクリーム工場をCikarangに開所
1995年 洗剤と食品工場をCikarangに開所
2000年 現地AL社よりチリソースBangoの商権を入手
2003年 蚊取り線香mosquito coil
2004年 グループ会社よりKnorrブランド販売権入手
2004年 ヘアケア工場移転チカラン移転
2005年 液体洗剤シャンプー製造チカランで開始
2008年 アジアNo.1のスキンケア―工場チカラン工場開所、
2008年 Buavita and Gogo をUltrajayaより獲得販売へ
2010年 飲用浄水Pureitスタート
2011年 Dove石鹸をスラバヤに開所、Wall’s ice cream and Skin Care factories in Cikarang拡張
2013年 インドネシアでの80年記念 “Project Sunlight”立ち上げ
2014年、革命的スキンケア IOMA立ち上げ
2015年 63haの食品大工場をチカランにオープン。煩雑となるので、後省略
会社資本の85%がUnilever本社であり、15%のみを上場した形であるが、独立監査役には元大臣など5人を配しているのが特徴だ。本社を探していたらGraha UnileverというのをGatot Subrotoに見つけた。数日前のジャカルタ新旧ブログのTaman Sari Semanggiが横に見えるところである。夜時間なのかClosedの表示がある。そして現れたのが冒頭の新Graha Unileverで、こちらはBSDにあり、多分に引っ越したのである。ジャカルタ一番の最高立地を捨てて、郊外のBSDに移るこの決断も見事であろう。
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