今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

磐田の市役所

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磐田市では新たなクラスター発生とかで報道されていたが添えられた市役所の写真に妙に魅せられた。いつもジャカルタの建物に気持ちが入っていて日本に無関心でいることに反省しながらとりあえず写真を保存した。
f:id:nishimikyohei:20210218094944p:plain同じ週にも地方のコロナニュースで神奈川のニュースで県庁が出ていたが、こちらは超モダーンなビルであるが、この二つ揃えたのには、二重の間違い(自分の勘違い)の面白さがあるからだ。 つまり磐田市役所かと思ったのが静岡県庁であり、神奈川県庁と思ったのは藤沢市役所であったことだ。この静岡県庁は思った通り、有形文化財に指定されたもので、県の紹介では「昭和9年の懸賞設計当選案(泰井武案)に基づき,大村巳代治ら県営繕の実施設計により竣工。日の字型平面をとる官庁建築で,正面中央の宝形屋根やパラペット立ち上がり部を本瓦葺風にみせるなど当時流行した日本趣味の造型が採り入れられている。」
藤沢市の市役所の説明はここでは省略するも、どこの市役所も立派な物であり、住民の力の賜物とすれば本当に大きな力だなと感心する。これはインドネシアとて同じである。どんどんと政府の建物が近代化していき、貧乏国と思って来た日本人は時として驚いているようだ。

所で日本地理に弱い小生にはこの磐田市がどこかも知らないほどであるが、要は:ここは昔で言えば遠江国の中心であり、江戸時代は見付と言われる東海道の宿場町であった。宿場町で言えばこの見付の二つ手前が掛川城掛川であり一つ名古屋寄りが浜松城の浜松である。浜松には行くことがあったが、その頃。ここ三方ガ原に家康が築き17年間座していたことは知らなかった。この地域こそ姉川、長篠、小牧・長久手三方ヶ原の合戦で実力をつけて行った所と知っておれば一泊でもするのであったが、浜松は東京と近すぎた。

f:id:nishimikyohei:20210218095617j:plain遠江は読むことが出来て、自らの半世紀以上の空白を感じたが、これら昔の国名も、多くが軍艦名(戦艦大和長門。。)になっているが、なってない国名は読めなかったり(グーグルでは美馬作)とか、遠近とか上下・前後が付く国名は軍艦には向かなかったようだ。