パルタイ・インダー・カプックと言ってもジャカルタの北はパッサール・イカンとスンダクラパの史跡の他はプルイットという日本人には奇妙な名前の所に中国人が住んでいたというだけの時代を思い出すが、そしてカプックと言う名前が近くなったのはカプック・ダマイのゴルフ場をシナールマスが大林とオープンしてからである。今は海上のガルーダ島開発を控え大都市に変貌して来た。
しかしそれがPIK と略され、更にPIK2 が現れ、番号を付されると何故2なのか誰が動かしているのかの関心が湧く。Pluitは大昔は中国寺院が並んでいるところや鰐園が有名であったが、鰐園は取り壊され(移転)、其処に大きなモールになったが、沖合にパンタイ・ムティアラがいつの間にか建ち、何か魅力を振りまいていた。しかしPIKに行くにははこのモールの前の道Pluit Indahを西にとって行く。
行くほどに小さめの運河を二つも超えた所からMuara地区になる。
ここには大きな住宅ガーデンのTaman Resort Mediteraniaがありそれに沿って更に西から北へ進み、Pantai Indah Kapuk(PIK) 病院の所の大き目の運河に行き当たる。ここ迄が行政的にはKapuk Muara であり、PIKである。(間違い易いMuara AngkeはPluit地区の北西にある。)そしてここの運河を越えると直ぐDamai Kapuk Indahゴルフ場であるがそれを左手にして進む道は又賑やかなPIK Avenueでその西端にTzuchi仏教施設がある。この地区は行政地区としてはKamal Muaraと変わったがまだPIKである。このPIK Avenueの北側、新島を望む地区で、スカルノハッタ高速のKapukゲートから降りてきた道が新島のD島へ伸びている。この辺りだなと思ってGoogle Mapを拡大したりすると。Avenue側のモールやD島のセンター街にPIK2の文字がみえてくる。所がこれ等はPIK2の一部かも知れないが、販売用ギャラリーであり、本当のPIK2はとんでもない所にあったのだ。実はこの辺りがPIK2なら小生は何度か来ており、2018年10月 4日 に「ジャカルタの東京リバーサイド」としてブログにも紹介していた。詳しく解説していた積りであるが、ロケーションの確認が足りなかったようだ。
昔、スカルノハッタの第3ターミナルの方から海岸に出て、PIKに行けないか踏み込んだことがあったが其処にはサッカーグラウンドがあったがPIKへのアクセスは無理だと引き揚げた。
今日MAPを見るとそこはマングローブなのか、或いはエビ養殖池が続いた湿原であった。なるほどPIKには行けないはずだ。
そしてPIK2の中心となる住宅団地東京リバーサイドはターミナル3の北東の海岸線の地区になり、これはもうバンテン州でありタンゲランである。PIKのKはKapukであるがPIK2のKはKamalを超えKosanbiのKかも知れない。
ここを示すのにPluitからは不適切だったようだ。因みにGoogleでDirectionを示さすと飛行場からの線が伸びていた。計画では奥の新島からKamalの方に橋が架かるよう(工事中か)でそこからずっと北の東京リバーサイドまで道があるにはあるようだ。多分この辺りはGoogle