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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Gombloh のKebyar2とGronlohのSurabaya2

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スラバヤの名前の由来を確認する時、出会った『スラバヤの風』というブログに“インドネシアン・ポップスの先駆者ゴンブロー“と言う名前に出会った。このGomblohという歌手(?)は小生にはレゲー風で余り気に留めてなかった歌手であるが、小生のスマホインドネシアPopsに保存している中にあるかとチェックすると、  “Kugudaikan Cintamu”と言うのが保存されていた。このインドネシアPopsと言うフォルダーにはインドネシアの歌手のシングルやアルバムが162も保存しているので、一つくらいはあるはずである。
Wikiによると、この歌手はスラバヤ出身(1948年生まれ)で40歳には肺を痛め他界していたが、本名は「Soedjarwoto Soemarsono」でGomblohは間抜けのフリの意味のあだ名である。
中学時代からバンドを結成、スラバヤでは有名で1978年頃から死ぬ間際の87年までたった10年で社会的雄たけびの歌を作っており、後にスラバヤの芸術家が連帯の輪を広げ彼の本名の銅像が今も町のTHR(Taman Hiburan Rakya)公園に建ち、或いはトロント大学の学術論文でスラバヤから起こる社会的叫び声が取り上げられている。そしてインドネシアの政治的反抗のデモには Indonesia Merah darahku, Putih tulangku!(インドネシアに我々の赤い血を!、白骨さえも!)と沸き起こるKebyar-kebyarの響きが街を揺るがし政治を動かした。
小生が最後にスラバヤ訪問した時は、丁度東北大地震の時であったので、この銅像を見ることはなかったが、小生は、ついついスラバヤ オー・スラバヤと歌を口ずさむことが多いが、その一つに Anneke Gronlohと言う1942年蘭印生まれのオランダ人が歌う懐かしのスラバヤがある。
あとDara Pusupitaや多くが歌った,"Surabaya, Surabaya, oh Surabaya kota kenangan, kota kenangan takkan terlupa"もある。
あとひとつあったのだが今日は見付けることが出来なかった。

Gronlohの他に保存しているのは、ジャワの貴婦人Soendari SoekotjoやSarinandehの後に歌う、床しきおばさんになったGrace SimonのSurabayaなどが本当は好きだ。