今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

プーチンはホモサピエンスか


プーチンの暴虐は色々と人類の未来について考えさせられているようだ。
プーチンはロシアの過去の栄光の時代のピョートル大帝時代を理想としていると聞くが、それはペトル帝が東方の辺境地から起こした功績の延長なのか、尊敬するスターリンの影響かも知れない。時代錯誤も甚だしい。 

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この帝政ロシア時代は逆に世紀の大文豪のトルストイを生む時代でもあったがトルストイの「戦争と平和」の教えなど、プーチンには何も残ってないのかも知れない。小生も何も残ってないが「アンナカレリナ」や「復活」含めもう読み直す時間も惜しくなってしまった。今日菊池先生のネット講話で、トルストイにあと一つ知られてない著作で「懺悔」と言うのがある事を知った。
それは、人間は必ず死ぬという事を彼、50代になって始めて目の前にある事に気が付いた時、死も考えないで生きて来た日々はごまかしであったと深く反省し、その後の生活のありようを四つ挙げて、最後に4っつ目を選択した。
 ➀無知の道 
 ②快楽の道
 ③自殺の道
 ➃あきらめの道  
トルストイにも晩年は多くの煩悩が押し寄せてきていたのかも知れない。伝記早読みでは彼は82歳のとき家出し、彷徨の駅舎で病気で倒れたと言う。 

まったく、プーチンにはトルストイを読んでほしいものだ。
この話を無理になぞると、プーチンは人間は死ぬという前に、独裁者への革命銃殺刑と独裁社会主義の崩壊が事実として迫ってきていることを実感していたのかも知れないということだ。
彼が第➄の道:絶望の狂気:を選ばないことを切に祈りたい。しかし今、彼も一人の人間としてそのような切羽詰まった中にいることを考えると、救いの手が必要かも知れない。 トルストイには彼が推し進めた社会的キリスト教が有ったはずであるが何故諦めたのだろうか。彼の諦めとはどうだったのか深くは知らないが仏道ともつながる「明らか見る」であったのだろうか。
ホモサピエンスの全史にも人類の進歩に忘れ去られた「幸せ」を訴えているが、その歴史の中での宗教の役割は軽く飛ばされているようだ。
コロナの時代もそうであった。イスラムテロの時代も何故宗教は無力であったのか
それは現代を牛耳る政治・報道・情報・金融・産業家が、本来無口な宗教家を相手にしないからである。
宗教は、人類がその業を間違っている間、預言者が現れて神の懲罰が下される五劫の途にある。