今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ジャカルタのカムデン CikiniのCamden Bar

 

<a href="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/camden-bar.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="Camden-bar" title="Camden-bar" style="margin: 3px;" src="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/blog/images/camden-bar.jpg" width="300" height="225"></a>
ジャカルタの地図を見て、何度かCamden Barと言う名前に出会ってその名前は記憶に残っていたが、昨日、何とはなく見ていたGyaoの映画「トモロー・ワールド」で、出会いの約束の場所(或いは破壊の街)でひょいとカムデン駅が表示され、これがCamden Barを思い出すきっかけとなった。
その映画は2027年の地球の状況を題材にしたSFものだが、人類の一番大切な生殖能力を失って18年後を想定しており、

NYKもパリも東京もKLもJakartaも全て滅びロンドンだけが他国から押し寄せる避難民がテロ化した時代になっていた。このあらすじはGyaoを見ればよいだろうが、そのカムダン地区もロンドンの中心部にあるパンクなどロックなどが溢れる芸術の街のようだ。
カムデンとカタカナでもwikiが出る程だから、知る人は知っているのだろう。

それがなぜジャカルタにCamden Barが有るのかも不思議で何かの流れがあるのだろう。 それ以上は飲みながら店に来る若人に聞けばいいだろうと止めにするが、今ジャカルタにあるのはCikini 地区である。昔はBlok-Mの南のGANDARIA地区にあったようだが、移ったのだろうか。Cikiniのこの場所も指し示すのは難しいが、
<a href="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/00kikugawa.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="00kikugawa" title="00kikugawa" style="margin: 3px;" src="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/blog/images/00kikugawa.jpg" width="300" height="225"></a>ジャカルタ最初の日本料理店 菊川(Jl.Cikini IV)のある通りの一本奥(Cikini 2)である。 丁度Taman Ismail Marzukiの前からGondandia方向に向かう道のKAI高架鉄道と交差する手前にある。そこにバリ風建物のバリ州ジャカルタ事務所がありその手前である。この事務所の事はブログにしたこともあるので何度か通った道だが、その当時はこのBarはなかったのでその後移ってきたものであろう。中はゆったりしたクラシックなパブ風でもある。日本からは行けないので写真を見ながら楽しもう。
下の写真映画トモローワールド より
戦火のCamdenTownかUkraina か

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<a href="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/20220323-1.png" target="_blank"><img border="0" alt="20220323-1" title="20220323-1" style="margin: 3px;" src="https://jakartan2.cocolog-nifty.com/blog/images/20220323-1.png" width="300" height="175"></a>