今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Bundを訪ねて港シャンハイ4部作

Raffles City The Bund, 上海

インドネシアでTauzia HotelグループやAscott を配下に130件に及ぶ施設を持つCapitaland Groupで最近のニュースとして上海のラッフルズシティ・ザ・バンドと言う大商業複合施設を作ったと言うのがあった。このBundと言う言葉は昔から分からないまま判ったふりをして来たのでちょっと調べる気になった。
上海は世界第2位の長江(揚子江Yangtze)の河口の西側にあり、この超大河の中の巨大な中島と面しているが、普通に上海の風景写真ではこの河もこの島も関係がない。

陸家嘴 浦東


関係あるのは黄浦江と陸家嘴である。 黄浦江とは長江に流れ込む支流のHuangpu Riverという、これも大河で上海市の中心を横切っている、その河が嘴の様にうねる内側が外灘(Waitan 黄浦区)で外側が陸家嘴(Lujiazui: 浦東Putong新区)である。そこの北部に流れくるSuzhouCreekがあるがこのCreekも黄浦河も上海の西側の隣町、蘇州や無錫の太湖を源流としている。
Capitalandが合弁で建設したRaffles City The BundのBundとはこの外灘の事であるが、実際はこのSuzhou Creekを越えた所にあり屋上から見れば足元に外灘の植民地時代の建物群が並び、また黄浦河を越えた浦東新区の高層ビル群を見渡す感じとなる。この高層ビル群の中には世界2位の上海中心(632m)や森ビルがある。
この外灘(黄浦区)と陸家嘴(浦東新区)が上海市の中心地区である。

外灘 Waitan Bund


このBundはこのように外灘の別名であるが現在も残っているのだ。残っていると言うのは私には、戦前歌謡でBundという言葉をおぼえており、丁度先週、このブログで戦前歌謡の満南3部作のx2の2編を書いていたので又、上海のバンドが出る歌を探し回った。上海といえば、私たちの世代では上海帰りのリルや上海の花売娘である。今どき戦前歌謡など検索する人も少ないと見えてYoutube でも中々ヒットしなくなった気がした。何とか辿り着いたのは、➀。津村謙唄の上海帰りのリルである。この歌には夢の四馬路(スマロ)の霧降る中でとしか出てこず、また②。岡晴夫唄の 花売り娘でも上海の地名は出てこない。

しかし上海の花売り娘 の歌い出しは赤いランタンほのかに揺れるであるが、この赤いランタンが付く、もう一つの歌があるはずだと歌詞を思い出しながらYoutube 検索した結果、タイトルに上海の名前が付かない③。「 港 シャンソン」という事が判った。同じ岡晴夫の歌で、歌詞は“赤いランタン 夜霧に濡れて ジャズが咽ぶよ バンドの風に 明日は出船か 七つの海へ 別れタバコはほろ苦い”という歌詞を完成出来た。(6) 岡 晴夫集《港シャンソン》 - YouTubeここにバンドが出てきており私などは、ひょっとして楽団のバンドかなと心配になったが。 やはりバンドは上海にある地名を表すものである事が判った。


それは将に英語であり埠頭のと言う意味の普通名詞であるが、欧米列強が上海を租借しまくったあの時代にこの上海の外灘の埠頭地区がその租界となり、今でもThe Bundといえばここを指す別名として残っているのだ。もともとはインドのウルドゥー語を語源とするそうでなるほどと思った。

上海帰りのリルに出てくる夢の四馬路(スマロ)の霧降る中での「四馬路」とは四頭だての馬車が通れる広い通りの繁華街と云う意味で当時は上海の海岸通りを“夢の四馬路”と呼んだそうだが、今は死語だろう。しかしあと一つの歌曲 ディック・ミネの➃。「夜霧のブルース にも“・・・夢の四馬路か 虹口(ホンキュ) と出てくる。青い夜霧に 灯影が紅く、青い灯紅い灯に血は騒いだのであろう。あと一つディックミネに➄。上海ブルースがある。 ”涙ぐんでる上海の夢のスマロの街の灯…“
ホンキュとは今でもこの地名があるが、当時は日本人が特に多く住んだ、各国との共同租界であったが上記のCreekを越えた北、CapitalandのRaffkes Cityと同じ地区で虹口区(Hongkou-ku)のようである。ここもBund外灘に違いない。このホンキュから浦東新区へ架僑があり、その地点から黄浦江の岸を上流へ3㎞辺りが南端となりここにも架僑があるがその二つの橋の間がBundとなる(広義、本当は南から1.5㎞まで)のだろう。(注:橋梁なのかトンネルなのかGoogle Map では不明)

Wardorf -Astria

この南端近くに往年の外人クラブであった上海クラブビル(1910年築)がある。今は、往年のマンハッタンのブランド、ウォルドルフ アストリア 上海 オン ザ バンドである。
紅い中国がここまで植民地時代の風物を残してくれた、理由はどうあれ、本当に感謝したいが、私にはもう時間もなく、七つの海へと漕ぎ出す元気もない。中国に申し訳ないと謝るしかない。行ったことがないので間違いがあればご容赦乞う。

Capitaland on The Bund

追補:24日:昨夜、Youtubeの朗読に谷崎潤一郎の「西湖の月」と言うのと出会った。出だしに上海出張の折り足を伸ばした西湖の巡りをしたと言うもので、小生の上記蘇州の太湖が間違ったのかと思ったのだが、調べると西湖は蘇州の南の杭州の街にある湖だったので間違いはなかった。