今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Hamkaの正体



GandariaHAMKA大学に関してこのHamkaと言うのは後一人いるはずで昔、疑問符列伝で締めていたのだが、今読むとその時の疑っていたポイントは全て正しいことがわかった。

1.このイスラム大学名となったProf.Hamkaは、やはりイスラムの学者であって、後一人CMNP の実業家のHamkaは別人ながら、Prof.Hamkaが養子とした名前がJusufという華人であった。

2. Hamkaと言うのはその義父の名前Haji Abdul Malik Karim Amrullahの短縮形でJusufはこれを姓に頂いたもので息子はFeisal HamkaCMNP監査役会長)として活動している。(娘FitriFitri Yusufである。)

3. Haji Abdul Malik Karim Amrullahは確かに2011年国家英雄として叙勲を受けていたが、この名前では気が付かないはずだ。

今日はここで穴埋めしておこう。

彼は1908年、西スマトラスンガイ・バタンで生まれ、1981年ジャカルタで死去し、タナ・クシールに埋葬された。父は厳格?なイスラム指導者であったが、彼はイスラムアラビア語を学び多くの著述を著した学者・文学者・ジャーナリストであると共に、イスラム政党のマシュミ党での政治活動或いはインドネシアのウレマ評議会(MUI)の初代議長を務めた人で、死去するまでムハマディヤで活動している。

アル・アズハル大学マレーシア国立大学は彼に名誉博士号を授与し、ムストポ大学(ジャカルタ)ハムカを教授として認めていた。

Hamkaというのは彼のペンネームとして使用したものである。父に反発しながらも影響を受けつつ成長していく若い時代のジャワ旅行については、後に小説家が取り上げられ更に“Buya Hamka”と言うタイトルで映画化された。これも彼にニックネームである。

マシュミは日本軍政時代のイスラム団体の一元化から、独立後、政党結成へそして最終、1960年非合法化解散に至る動きの中で正面には立つことはなかったようだが非合法による幹部の投獄には顔を揃え、スハルトにより解放された。ジャワ中央政府の混乱やスカルノのナサコム体制に反対した1958年のPRRI革命政府参加が非合法への決定的な事件であった。

MUIに関してはメリークリスマスが話題となる。ムスリムに取ってメリークリスマスと言って挨拶するのはイスラムに反すると言うFatwaが1981年Hamkaの時代に出ているという事が有るらしいのだが、Hamka自身はメリークリスマスと言う事は許されていると明言しているということである。ただクリスマスの行事に参加することはまずいだろうという事らしい。何か写真をネットで探していたら温和なBuyaさんの写真と素晴らしい言葉があった。