今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Jembatan Batuより耳に優しいPinangsia

 

Pinangsia tempo doeloe

昔のジャカルタの写真でいつ頃の写真なのか不明な一つの写真がある。コタ駅の南側の通りの華人の3連棟の住宅などが並ぶ風景で、コタ駅を過ぎてGlodokの方に行くPintu Besar南通りに向かいながらいつも別れを惜しむ右側の風景である。

Eigen Hulp



手前に大きなオランダ時代の建物がリノベされて目につくが、これはオランダ時代の保険会社の建物でGedung OLVEHと言いその並びには中国寺院(Wihara Sam..)だったか仏教葬別施設がある。この通りは余り知られてないがJembatan BesiとかJalan Raya Panturaとか西行き・東行きで名前が違う。

OLVEHの建物は95cmもの地盤沈下証を見ることが出来ると言うので訪問記をブログしたことがある。

 

Pinangsia 2011 ? Jembatan Besi


この3連棟の中国建物について何か調べる手立てはなく、調べても何も興味をひくことは出てこないだろうから、その後の写真などを並べて見よう。小生のその後は2011年?となるが、

Jalan Raya Pantura

最新の模様はgoogle mapとして見たが余り変わらない。その3連棟の建物の一番手前はGoogleによると、Mie ayam legend pinangsiaと中華そばやがある事になっているが、建物自体にはその雰囲気はない。昔伝統の珈琲ショップがあると言うのでそのPinangsia地区を歩いたことがあったが、中華そばには気が付かなかった。

店の道を隔てた正面もレストランのようだがその通り側にあった昔1980年代のパイロットの看板の枠軸は今も健在なのはなぜだろうか。

コタ駅前は今後MRTの延伸で大変貌を遂げる事だろうと思うが、是非このPinangsiaの入口の建物は残してほしいものだ。

Pinangsia tempo doeloe