村田兆治さんが亡くなった。心から哀悼の意を表したい。思い出すのは人情哀歓物語に、“ちょうじ”さんとか登場するものがあった、かすかな記憶から○○屋とか渡世人とかかけて、検索をかけ、苦労の末「居酒屋兆治」という映画であったことが解かった。
他にもあるかも知れない後ろ髪が引かれるが、ともかく、これは、山口瞳原作、降旗康男監督、高倉健主演の他、大原麗子、加藤登紀子、田中邦衛など主演クラスの映画である。助演クラスには、ちあきなおみ、池部良、伊丹十三、小林稔侍、平田満、佐藤慶、東野英治郎、小松政夫、左とん平、小松方正、細野晴臣、大滝秀治など豪華目白押しである。1983年だから私はジャカルタ赴任中で見れなかったが、今Youtubeで見ようとしても有料だ。確かダブルものがあるはずだ。
兆治投手に帰って話は、暴力事件になるが、私もこの自宅火災事件は、大元を解くと、この暴力と言われて現場で逮捕された事件が尾を引いていると見える。
私流のいつもの社会から問題点を探す結論は、日本の社会は、個人の失敗、行き過ぎ、過失をもって、その個人の人生完投を粉砕してしまう社会である事である。
この社会は特にマジョリティの力が強い。 マジョリティは見えない、小さい、裏の真実を、権力を背景に隠してしまう事がおおい。それをTVがリードしているように思える。
多分刑事手続法とか法定化されてない部分があるのかもしれない。事情を調査して、初めて手錠をかける犯人・悪者扱いが認められるのだ。
彼は亡くなったが、ちゃんと「人生先発完投」を果たしたのだと、私もこの言葉をかみしめたい。
結論を急ぎ且つごちゃまぜになったかも知れない。
危険犯人への逮捕時の拳銃使用の遅さ(瞬時にタイヤや靴を狙う逮捕劇はないものだろうか)、裁判になると長時間、執行時ののんびりさに比べて、例えばクレーム弱者の逮捕は早すぎる。
例の静岡観光バスで事故死した人には深くお悔やみ申し上げるが、原因には、やはり、フェーン現象があり、現行犯逮捕をその後釈放したらしいがTV報道はない。
法務大臣もじっくり法と言うものを考えてはどうだろうか。この件にも一言あるが今日は止そう。
家では今賑やかにやっている。