今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ユリウス・タヒヤの時代

Niaga Tower, Sudirman 2007



インドネシアにCIMB Niagaという銀行があるが、CIMBはマレーシアの銀行でMay Bankに次ぐトップの民間銀行でありNiagaはインドネシアの嘗ての金融危機前の民間銀行中堅である。

 

CIMBの設立は1924年(直接は1974年)と古く、従業員23,000人、12ケ国に展開しているそうだが日本にはなく地方銀行と提携はある。

 

Bank Niagaは金融危機当の前、総資産8兆ルピアでバンク・バリと並ぶ民間6位であった。この銀行はプラボヲの兄のHashim Djojohadikusumoが所有していたが、外国債務返済が出来ず国有化され、最後外国銀行のCIMBが購入することになったものである。しかしDjojohadikusumoがこの銀行を買ったのは1997年で売り抜けた感じとなったのは、時の財閥 Julius Tahijaである。ユリウスターヒャは1916年生まれ、2002年になくなったが、波乱万丈の伝記を読むと熱帯の地で生きた人生が我が事と引き比べ思い浮かべている。

子供二人George & Sjakon Tahija は父の遺産もあり長者番付にある。(2009年5月収録)

ユリウス・タヒヤ

オランダ軍の訓練を受け将校に、同盟軍から名誉の勲章を受けた唯一のインドネシア人で独立戦、ハーグ円卓会議代表、東インドネシア国大臣、国軍時代を経て、カルテックス社長は唯一のインドネシア人で、シャフリル・スカルノスハルト時代の一目置かれた重鎮、Indrapuraグループはプリブミ第一の財閥、妻は豪州避難中の歯科医ジーン、等々々、晩年は慈善活動で二人して、プンチャクに眠る。