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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

スハルト医師のPKBI家族計画

 

2022年国家英雄の称号を与えられたH・R・スハルト博士はインドネシア共和国の初代大統領の個人医師である。 1942年以来、彼の任務の間、常に世界中、スカルノに同行している。

外交面で付きっ切りのチャウツーモー特使の回想録をめくったが、裏方の彼の名前は見付けられないのは致し方ないが、日本無条件降伏の後、スカルノ、ハッタ、ラジマンがサイゴンの寺内元帥に会い行った時も同行していることは今回の紹介ニュースに出ていた。

1908年12月24日、スラカルタで生まれたこの人物は正式にはDr. dr. H. R. Soeharto Sastrosoeyosoと称する。何故drが二つあるのか不明だが、医師会の創設(1950年IDI)や家族計画(KB)プログラムの推進に貢献したことは頷かれても、スカルノの内閣で商業大臣や工業大臣、BAPPENAS長官を務めていたのは驚きだ。

驚きはそれに限らず、日本賠償の国営デパート・サリーナやホテル・インドネシア地区の発展にも貢献していることや1946年の当初の中央銀行たるインドネシア銀行ネガラ(BNI)や1949 年State University of Gadjah Madaの創設者の1人として記録されている事もある。

1957年に家族計画協会(PKBI)の初代会長に就任しておるが、報道ではスカルノの失脚以降の事に触れたものはなく、博士は2000年に亡くなっている。幅広く触れられているが深い論述はない。

PKBIの建物は昔、Hang Tua や Hang Jebatをうろついた時キャッチしていたもので、Jakarta Health Polytechの横である。

PKBI Hang Jebat