今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

正月クイズ:スマランにはBI源流が二つも

Javascebank di Kota Lama Semarang di kejauhan

Javaschebankの支店の内、当時の東インドの大都市で、私の好きなスマランのについては、何か複雑怪奇を感じたので、後回しにしていた。

いま、Google MapでJavasche Bank Semarangを検索するといくつか選択肢があるうちの一つ

 1) Kantor van de Javasche bank te semarangをクリックするとセピア色の古いオランダ風建物であるが、streetviewでアップされた写真は街路樹が大きくその陰にはその建物がある様には見えなかった。ポイント点はPemudaの北側にあり住所は:Jl. Pemuda No.3であった。

Javasche Bank Lama di Semarang 1) & 2)

 

2) 次に別の選択肢のEks de Javasche Bank te Semarangをクリックすると、同じくセピア色のオランダ建物ではあるが、明らかに別の建物の古い写真がアップされていた。ポイント点は先のPemuda 通りから少し離れた、Pemuda 通りから北東のKota Lama地区となり住所はLetjen Supraptである。説明にはSemarang Creative Galleryとあるが、写真の説明だろう。

 

3) あと一つ選択肢があり、それは Javasche Bankであるがアップした写真は赤や青の線でペイントされた現代の建物である。建物の両端の対称となった特色ある部分が、先のセピア色のものと同じであり、こちらは2)の現存する姿である事は確実である。

3) Jabaschebank Semarang Google

私が2015年にここを通った時は Kota Lama地区は大整備中であったので、急ぎ離れる直前に何とかカメラに入っていた。

Javasche Bank Semalang nou TELKOM 2015

念の為WikipediaでBank IndonesiaやJavasche Bankを見るとその歴史の支店の紹介写真には、Batavia、Bandung、Ygyakarta、Surakarta、Banjarmasin、Padang、Cirebonなどはあるが何故か、Semarangはないのである。何故ないのか、不可解であるが、、、、

4) Javaschebank now Bank Jateng

4) 更に調べる内に、現在はBank Jatengとなっていると言うので、出逢ったBank Jateng KCP Pasar Joharでアップされている写真を見ると、上述1)の昔のスタイルのままの建物のカラー写真で、駐車した車からも現代のものと確信できる。住所も矢印の位置も同じである。

Metro Hotel sebelah kanan dari Bank Jateng

Bank Jatengと言えばこのPemuda 通りの南側にあり、1)とは逆に5~6階建てのビルがある。隣がMetro Hotelであるので私のカメラに入ったはずだが、残念ながら行き過ぎていた。

しかしその存在は間違いはないので、この通りの北と南にBank Jatengが二つある事になるが、それを肯定したうえで推定すると、1)は確かにBank Jatengが使用しているが支店営業向けと言うより何らかの迎賓館などWisma として使用されているのであろう。

以上1)が現存していることはこれで説明され 2)の現存は3)で証明したことで二つのJavasche Bankスマラン支店があったことになる。

Semarang支店は1829年建設でバタビア本店の翌年に開設されているので名門であるが、或る文献では多分に2)のKota Lamaの方が先で1920年代建設であるが1934年にこちら1)に移転したのであろうか、その後独立後名実とものSimpang Lima近くの Imam Bardjo通りの BIが建設されて再度移転したのであろう。2)は現在Telkomが使用中である事は私のアップした写真でも読める。

と言う訳で今日はいくら探してもそれ以上のことはネットでは何も発見できなかった。 冒頭のKota Lamaの中のJavaschebank遠景は2)である。

今日は、正月のネットクイズ問題で殆ど1日を費やした。勿論箱根駅伝とかテレビを見ながらであったが、31日の懐かしの年忘れ日本の唄が55回目、NHK紅白歌合戦が73回目でクリアしたが駅伝は99歳であった事には頭が下がった。

追記(1月4日):執念で探した設計家

JavascheBankの建築設計は殆ど全てCuypers & HulswitであったのでSemarangのも同じだと思って検索を重ねてやっと今日探し出した。間違いはなかった。しかも建築年は1910年と読める文章があった。

Jejak Kolonial: Secuil Eropa di Kota Lama Semarang