今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

海と陸のSekarの世界に、花咲くニッケル

SEKARの世界

Sekarとはスンダ語で花とか或いは歌の意味だそうだ。或いはサンスクリット語源ShekarではPuncak(頂上)の意味もある。

 

先般の「サヒッド・ミッドプラザ周り」というブログでSantanaビル(Wisma Nugra Santana)にSekar Laut Tbkと言う会社のジャカルタ本部に出会ったり、facebookでも見かけた名前なので辞書を引いた訳である。

Sekar Laut Tbkは似たような Sekar Bumi Tbkと言う会社があり両者は兄弟会社で、担当領域を海の幸と山の幸で分けているのかと思うと、Sekar Laut は海の幸でなく、クラッカー、トマトソース、チリソースの生産に従事していて、Sekar Bumi は、漁業、農業および畜産業に従事しているとなっている。 Bumiは山と言うより広く地球の意味であり、該社は海ではあるが陸上養殖のshrimp が主力であった。多分Lautの方が加工食品段階を担当すると言えようか。

Sekarの冷凍食品の数々


両者は上場しているのでまず要点比較しておこう。

 

                Sekar Bumi                Sekar Laut

設立年             1974年                1976年

本社              Plaza Asia, Sudirman 59                Darmo,Surabaya                

監査役会長    Finna Huang                  Fanni Susilo 

取締役社長         Harry Lukmito                Welly Gunawan               

株主                Tael Two Partners32%     Green Resources42%              

同2位                     Green Resources20%               PT.Alamiah Sari 26% 

同Huang例           Oei Harry Lukmito 1.98%       Harry Fong Jaya 0.32%

上場年                   1993年                                     1993年

創業者Harry Susiloは現在の会長の父になるが、彼は1941年シドアルジョ生まれであるが一家(Huang 家)は前年中国より移民してきて漁師の仕事をしていた。24歳の時父親が倒れHarryが一家12人を養う責任を負い、伝手によりシンガポールへの水産物の輸出を手掛けた。1968年、偶々空港で出荷の姿を見た日本の東洋綿花の菊池氏の目に留まり、日本向けの輸出の道が開けてきた。それが今日への出発点であった。Sekar Private Ltdとして商売は拡大し1974年には、更なる拡大への東洋綿花の提案を受け入れ、冷凍施設を建設するためにPT Sekar Bumi Tbkを設立することとなる。

1976年から1980年代には、エビクラッカー製造の技術進歩を開拓し、丸紅へのエビクラッカーのサプライヤーになり、更に消費者の高度な基準を満たすために、スシロは、高度な加工機器と設備を導入し、後にPT Sekar Laut Tbkとして知られるドライフードの加工会社を設立した。この会社は、長女にちなんで名付けられた「Finna」として、世界的に知られる有名なブランドを確立する程となる。Finnaの他に同グループには、SKBBumifoodMitrakuなどのブランドがある。90年代には多くの多国籍企業とのパートナーシップを通じて、世界に通用するブランドの確立した食品メーカーであることに加えて、飼料、農業プランテーション、水産養殖、不動産と観光、ヘルスケア、鉱業などのさまざまなセクターに投資する程になるのである。

その一つにFinnaと共に日本人にも有名なFinna Golf & Country Clubがある。そしてヘルスケア―部門はBumi Asihルマ・サキットで最後の鉱業については、このグループの偉大さに唖然とするほか、小生には描写力がない。その鉱業会社名は何か謂れのありそうなIfishdecoと言うが、既に上場しているので、証券IDNF社の企業紹介を引用しよう。

PT Ifishdeco Tbk (IFSH) は1971年、水産業で設立され、1989年にアグリビジネスプランテーションに事業を拡大した。所が、この農園にニッケルや鉄が豊富に含まれていることがわかり、鉱山に事業を転換し、2011年に鉱石類の生産・販売を開始した。更に子会社・ビンタンスメルター・インドネシアを設立し、ニッケル銑鉄(NPI)、フェロニッケル合金(FeNi)の加工・輸送・輸出を行うまでになり、2019年に上場を果たしたというものだ。

本社をSahid Sudirman Centerに置いたが、冒頭のMy Brogの「サヒッド・ミッドプラザ周り」でSantanaから始めて、Sahid Centerで上がったストリーとなった。

3/15追記:グループの子会社群に日系の以下がある。

Katokichi:今は無き加ト吉か。

Seinan:西南開発と魚肉ソーセージなどを製造、野村貿が扱いのようだ。