

Jalan Juanda あたりを探険した時キリスト教関連の女学院の施設があり、Jalan Juandaから奥のJalan Batu Tulis 迄連なって建てた長い建物で、ここはklooster Ursulin Harmonieウルスリン修道院と言われた建物だ。
筋向いの少し東寄りのチリウン運河向こう(Jalan Pos)のSanta Ursula Elementary Schoolと姉妹校である。

小学校からやっていると言うので日本人家庭でも一時は候補であった。ここのブログは既にいくつか書いている。
Sancta Ursulaはここジャカルタにも生きている。: ジャカルタ新旧あれこれhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/sanctaursula_dd02.html
St.Ursula女学院と教育モットー: ジャカルタ新旧あれこれhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/stursula_e214.html

今日はこのJuandaの建物の長さだけの話である。ここに向かう時Jiwasraya保険会社の所の縦のJl. Juanda IIIにはSanur中華がありよく使ったものだ。女学院はその裏手に当たる。中庭にはバスケコートかテニスコートが3~4面も縦に備わっている。玄関は当然Juanda 本通りの表にあるが何か近づきにくさがあった。
Jalan Posの方も後ろはラパンガン広場に面するほど長い。

ちょっと調べるとJl.Posの方はKleine Klooster?と言い1856年に建てられたがJuandaのGrote Klooster?の方は少し遅れての20c始めのようだ。
ウルスラ会は1535年、イタリアのブレシアで聖アンジェラ・メリチによって創立された。
なお、ウルスラ会とは別に、ノートルダムにある教育修道女会は1833年に南ドイツで創立され、創立者マザーテレジア・ゲルハルデインガーは「教育こそ社会を良くする鍵」と信じて活動を始め、その後、日本にもやってきて、戦後の荒廃した京都に女子校を設立した。
オランダ ベアトリックス女王も1995年にここにも来訪された。第二次世界大戦終結から50年の節目でもあり、過去の痛みを乗り越えて未来へ進むための和解と希望の年だった。