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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Patung Persahabatan ひどい名前の街の記念像

Patung Persahabatan ひどい名前の街の記念像

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patung cut mutia
昔のジャカルタの雑誌に名前が今一つ知られてない彫像があった。名前はDerap Pembangunanとあり、時期は未だスハルトの時代、或いはジャカルタ市長はアディ・サディキィンであった。立っている場所はCut Mutiaモスクのある公園の先のJl.Cut Mutia道の真ん中である。 ジャカルタ市の公式サイトにも出ていない。何とかして探して現在名前はPatung Persahabatan(Friendship)と言うことだけは何とか捕まえたが、記録忘れたためどこからともわからない。
何故なら頼りのGoogle Mapでも何も出てないからで、KWIと大きく出ている建物の前あたりである。
この雑誌によるとアリ・サディキンが相当推進したようでジャカルタ芸術大学ともいえるLPKJ (Lembaga Pendidikan dan kebudayaan Jakarta)の学生の創作らしく、雑誌はメデイアも市民も、余りに冷淡なのを嘆いているようなわけであった。Derapと言うのは速足、躍進とかいう意味でPEMBANGUNANはスハルトの代名詞でもあった開発である。インドネシア人はユーモアのあるニックネームを付けるのが上手いが、これには慈悲深いアリサディキンの“nasib baik”とか“Hansiip rondaパトロール市政警護団” “nguber maling盗人追跡”あとは“ orang kebelet berak”というのもあり、これはどうかな ここまで言う! 死にかけ排便?