今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

11月度イ国投資環境 新産業への調査研究などMoU花盛り

11/1 JICA、PLN と脱炭素に向けた業務提携協力 MoU

11/1 バクリー、建設用 3D プリンター事業のデンマーク企業とMoU。

11/1 PLN、韓国電力公社の子会社とも水素~アンモニア混焼技術の開発で MoU。

11/2 三菱重、インドネシア・パワーと低炭素燃料混焼に向けた事業化調査で MoU。

11/8 PLN、米国立再生エネ研究所と MoU。2022 年の CO₂排出削減量は 3,200 万トン

11/13 エクソンモービル、CO₂回収・貯留(CCS)技術の導入協力でプルタミナと MoU。

11/13 バクリー、ネット・ゼロ工業団地開発計画、遠景科技集団と協業で MoU。

11/18 サン・ケーブル、グリーン産業開発めぐる調査でエネ省と MoU

 

新産業へ着手も続々

11/2 ION モビリティ、イ市場へ電動バイク『M1-S』投入計画、5 千万ルピア以下の予定。

11/9 ソコニンド、EV『グロラ』を 2023 年 1月からイ国内組立へ、3.5 億ルピア。

11/12 プルタミナ、南スマ地熱発電所 2 号機建設へ、ODA 利用で、三菱商事ら参加

11/14 住商カリマンタンの東南アジア最大となる水力発電所170 億ドル超出資へ。

11/15 ゼロ・パワー・システムズ、集積回路の設計センター建設などイ工業省に協力へ、。

11/16 三井物産、通信塔、データセンター、海底ケーブルなどの合弁へ、。

11/16 トタル・エレン、南カリの風力発電所(70MW)開発事業を落札、アダロと。

11/16 ユニクロ、イの店舗で再エネ利用実質 100%に。

11/18 ダイキン、家庭用エアコン工場設立へ、投資 2.2 億ドル

11/11 国内初の太陽光発電所(100 KWp)、G20 サミットに合わせてバリで稼働。

明るい世界へのイの努力も

11/5 G20 宗教フォーラムの参加国の代表らがボロブドゥール/プランバナン寺院など

11/7 バニュワンギで G20 サミットに反対する邦人男性を強制送還へ

11/11 アセアン首脳会議:米との関係を格上げ、東ティモールの加盟について基本合意

11/13 G20 財務・保健相会議でジョコウィがパンデミック基金の始動宣言。

11/14 バリで米中首脳会談、緊張緩和努力を確認したものの、台湾問題ではまだ溝。

11/15 第 17 回 G20 サミット、バリで 16 日まで。プーチン来ず。ゼ大統領はライン参加

11/16 2036 年の五輪招致にジョコウィ意欲、招致先は開発中の新首都ヌサンタラ。

11/17 英語ランキング、イは 111 カ国中 81 位とまだ低めと EF 調べ。

 

記録に

11/6フォーブス誌の世界雇用主ランキング800 社中1位はサムスン、テルコムは 153位

11/2 ジャカルタで操業する全企業に障碍者の雇用義務付け徹底へ、少なくとも 1%

11/4 砂糖の自給自足と、バイオエタノールの一環でも18 万から 70 万 ha に拡大へ

11/16 銀行のフィンテック会社への投資、資本金の 35%まで可能に:OJK令。

11/20 最賃 10%アップ労相令

 

Amazonなどフィッシングメール始末記



spam mail from amazon phished


パソコンのメールに、偽物・なりすましメールが入り込んできたのはいつごろからだろうか。多分日本に帰国し、家庭のWihi環境をKDDIにしてからだろうか、毎日増え続け、最近では2~3日メールを見ないと未開封メールが100件以上もあり内9割がそのようなメールである。それも皆大手の会社名を使っていて、単なる広告メールではなく、取引やアカウント更新の確認でアクセスを誘導するやつなので始末が悪い。

この対策にまずは

1)Anti-Spam ソフトをちゃんと更新し、序に二つも入れたが解決せず 

2) Mail Soft Outlookの迷惑メール仕訳に入れて退治しているのであるが効果がなく、

3) 迷惑メール相談センターmeiwak@dekyo.or.jp への転送するも効果なく

4) パソコンの設定のWEB閲覧などをいじって見るも、怖くなり止める

後はメールソフトのOutlookをやめるか、メールアドレスを変更するかパソコンを取り換えることまで考えたがGive-Up、インドネシアの友人に相談したところ、インドネシアではそれほど悪質な迷惑メールはないとのことで、メールアドレスの話から、被害に遭っているのはKDDIのメールアドレスだけである事に気付き、KDDIのサイトからau.one-net WEBメールを開くとログインでき、ここに各種設定があり、その設定の一つに迷惑メールフイルターをonという設定がある事を発見、これをonにし、その処置を削除処理、通知不要に設定できた。

このサイトは何故か幅が広く?ログインのボックスがパソコンの外に出ておりサイズダウンして初めてログイン出来たことと、log inにパスワードが必要だが、これは幸に昔、意味も知らずにPOPの8桁のものを手帳にメモしていたことで助かった。

迷惑メール退治はネットにも色々書かれており、有料のものが多い。相談センターは迷惑メールを収集している研究機関のようだが、そのサイトに研究結果が色々書かれているが、かなり難しい。

 

私の場合は上記で何とか済今日まで1週間1本も迷惑メールはないのでこの成功物語を参考になればと記録した。

 

このmeiwaku メールにやられた会社はAmazonの他、三井住友SMBC,イオン、代引きスーパー、Viewcard、クレディセゾン、AmericanExp、えきねっとなど多彩でそれも段階認証、最終警告とかアドレスを変えて襲ってくる。 Amazonには電話がつながったので未だ会員として残っていた記録も抹消してもらって清々した。

 

これが始末書である。

 

その数日前はスマでKDDIの家のWihiが突然切れて難しい通知が表示され大変な目にあった。KDDIにもAEON MobileにもASUSメーカーにも電話したが最後は中国の女性と話が出来たのが取り得であったが、結局は皆に突き放され途方に暮れた。

最後は、こちらもルーターに記載のある20桁以上のパスワードで再接続をやり、成功した。それにしても、何故何もしないのに切れるのであろうか。

昨夜はFIFAクロアチア戦を観戦したが、ABEMAは余りに接続が集中して使えず、お待ちくださいと表示されたが朝までだめだった。こちらは富士TVが有ったので弊害はなかったが。ABEMAにはいつもお世話になっている。

美味かったAdem Sari

ひょんなことから懐かしいAdem Sariという名前に会った。写真から紙袋入りの粉末ジュースの素だったことを、かすかに思い出された。言わば冷たいサイダーだったと思うが、飲食費を節約する私にはぴったりだった。ネットを拾うとPowder Drink界の90%の市場シェアらしいが、一方の好敵手にはEnergy Drink のPocari SweatPepsiの Gatorade、Gatoradeも一時美味しく飲んだものだ。

 

製造会社はEnesisで未だ上場していないので、データはそろわないが、創業は1988年、Purogadungで、その頃は蚊取りの殺虫剤mosquito repellent lotionで始め、Adem Sariは1994年からで、その後Ready to DrinkのAdem Sari Ching kuとか飲料・食品サプリグループの多角化(herbal extracts (chrysanthemum, wheat grass, mesona),とjuice (lemon, lime, apple)や honeyやhigh Vitaminを加え、ブランドもVegeta、Proman、Coolant、Tesona、Scrubber、Air Sejuk、 Amunizerがあり、一方当初の蚊駆除剤Sari PuspaはSoffellと改称し更に家庭用クリーニングや個人ケアーなどの日用品グループ(FMCG:Fast Moving Consummer Goods)ブランドで言えば Kisprey、Antis、 Force Magic、 Plossa Press、Soothe Aromaticsがある。

 

Ademとは辞書には無いが冷たいクールな意味があり、Sariは花粉とか或いはインドの衣服で女性名に多い。

創業者は飲料水のブランドに使ったChinさんという事はわかったが、SWAの選定した表彰式にも或いは レバラン帰省ラッシュに際して社会貢献したPoskoの視察に来たウノ観光大臣の応対にも、会社のトップの名前は出てこなかったが、何とかGBGの有料サイトとで社長名はBambang Soendoroと解った。彼は優秀CEOで表彰されたことがあり、Republikaの2014年のインタビュー記事の中の紹介では、ITB卒でSalimグループや多国籍企業で働いた経験があり当時49歳であった。

Adyatma保健省ビルと博物館

gedung Dr. Adyatma 2013



保健省の建物はラスナサイドにあり、ソニー税務コンサル事務所に行く時などよく通ったものだが、その建物にはニックネームがありgedung Dr.M.Adyatmaと言う事を知った。

Adyatmaと言うのは1990年代初めの保健大臣である事はよく知っている。時は将に1990年だったと思うがJJC日本人会の悲願20年のクリニックの設置を認めた時の大臣である。特に尽力されたのは時の日本大使、国廣大使と時の内務大臣スパルジョ・ルスタム中将であったのであろうが、晴れて許可を得てラスナサイドのメディカロカに日本人クラブ医療相談室を開所した。

保健省のビルは1987年建築で、A.B.Cブロックに分かれる8階建てビルであるが、飾り気のない当時としては近代的なビルであったが、何故この博士の大臣の名前がついたのかは調べていない。ただスラバヤにはこの名前が付いた博物館もあるのでJJC医療相談室以外の大きな事績が有るのであろう。

スラバヤはジュンバタン・メラの上流の中心地でMuseum Kesehatan Dr Adhyatma という1990年オープンである。こちらの建物は1953年築の当時のオランダが所有した病院を利用したものあった

展示の中心は1988年から1993年の保健大臣であったAdhyatma博士の活動写真や彼が獲得したメモや賞などで、その前後の保健省の事情も分かるようだが

小生にとっては古い建物が保存されているという事だけで十分である。

 

Ades から、Oasis へ

 

保有した銀行もLippoに売却し、ミネラル飲料air minum dalam kemasan (AMDK)の会社も売却したAlfi Gunawan氏であるが、彼の作った水のブランドのAdesはどこへ行ったと言うブログは書いたが、その後のAlfi自身のどこへ行ったかは未だ書いてなかった。

 

結論を先に書くと2015年のニュースにPT. Oasis Waters International の会長のAlfi Gunawanが、時の工業大臣に表敬訪問した記事があった。その報告によると、この Oasisブランドの飲料水を作る会社は過去2011年から15年までに1.4兆ルピアの投資を行い、全国5工場で150億リットルの生産規模にまで拡大してきたのでシェアーも20%を望むまでになったというものであった。つまりは彼は別の会社で新しいブランドOasisをつくっていたのだ。

これは2015年のニュースであるので現在の状況確認をする必要があり、検索を続けると2020年にOasis Waters International は廃プラ問題からガラスボトルのOasis Bluと言う新製品を売り出したニュースがあった。既にAlfiから次の世代に移っているようで、Nathan Gunawan、Armand Gunawan及びBrandon Gunawanが 引っ張っているようだが

その他検索には引っかからない。

また最近情報ディスクロージャーが極端に少なく、再度外資Hyfluxと言う外資の動きも姿を表していた(ただ該社は清算)。その後の情報取得はネット情報検索では難しいが、上記を覆す事実はない。

 

ただ、このOasis1984年、PT. Santa Rosa Indonesiaとして生まれておりそこから数えると30年の歴史のあるかいしゃなのだ。Bogor, Bali, Palembang Dan Surabayの工場から15の支店を通じ2万の顧客に販売している。多分頃合いでAlfi氏が手に入れていたものと推定される。

本社アドレスのGoogle写真はこの通りであった。

 

サヌーシとBPUPKI



2022年国家英雄の5人の中の一人、K.H.アフマド・サヌーシは独立英雄ともいえる。紹介文に彼は、独立準備努力調査機関(BPUPKI)のメンバーであるという事だからである。所がこの紹介は不十分である。というのはBPUPKIは62名もおり、言わば議員に過ぎなく議員だけでは英雄と言うことは出来ないので紹介文は続けてサヌーシは、執筆、イスラム寄宿学校の建設、その他の教育活動にも積極的に取り組んだとある。具体的にはインドネシアイスラム大学(UII)の設立に参加し、また生涯にわたって少なくとも525の論文を書き、そのうち400はオランダのライデン大学にきちんと保存されている。有名な作品の1つは、スンダ語を使用した解釈の本であるMaljau at-Thalibinの本だそうだ。

BPUPKIというのは言わば議会で総勢70人程の委員がいるが、独立直前のパンチャシラ宣言に署名したのはその代表9名で以下の人々でなかんずく、マラミス氏とカハールムザキル氏をが英雄叙勲を受けた2019年で全員済んでいる。

  1. スカルノ

  2. モハマッド・ハッタ

  3. A.マラミス

  4. アビクスノ・チョクロスヨソ

  5. アブドゥル・カハル・ムザキル

  6. アグス・サリム

  7. アフマッド・スバルジョ

  8. ワヒッド・ハシム

  9. ムハマッド・ヤミン

スハルト医師のPKBI家族計画

 

2022年国家英雄の称号を与えられたH・R・スハルト博士はインドネシア共和国の初代大統領の個人医師である。 1942年以来、彼の任務の間、常に世界中、スカルノに同行している。

外交面で付きっ切りのチャウツーモー特使の回想録をめくったが、裏方の彼の名前は見付けられないのは致し方ないが、日本無条件降伏の後、スカルノ、ハッタ、ラジマンがサイゴンの寺内元帥に会い行った時も同行していることは今回の紹介ニュースに出ていた。

1908年12月24日、スラカルタで生まれたこの人物は正式にはDr. dr. H. R. Soeharto Sastrosoeyosoと称する。何故drが二つあるのか不明だが、医師会の創設(1950年IDI)や家族計画(KB)プログラムの推進に貢献したことは頷かれても、スカルノの内閣で商業大臣や工業大臣、BAPPENAS長官を務めていたのは驚きだ。

驚きはそれに限らず、日本賠償の国営デパート・サリーナやホテル・インドネシア地区の発展にも貢献していることや1946年の当初の中央銀行たるインドネシア銀行ネガラ(BNI)や1949 年State University of Gadjah Madaの創設者の1人として記録されている事もある。

1957年に家族計画協会(PKBI)の初代会長に就任しておるが、報道ではスカルノの失脚以降の事に触れたものはなく、博士は2000年に亡くなっている。幅広く触れられているが深い論述はない。

PKBIの建物は昔、Hang Tua や Hang Jebatをうろついた時キャッチしていたもので、Jakarta Health Polytechの横である。

PKBI Hang Jebat