今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Japan の J にキリ込む J Resources

 

日本の会社かと見まがう J Resourcesであるが、該社は正式には PT. J Resources Asia Pasifik Tbk と言う会社でインドネシアの後発・中堅金採鉱会社である。監査役会長のJimmy Budiartoにより起こされた、インドネシア第3位の金採鉱上場会社になっている。

J は Jimmyの J だろうか。J一つで日本代表 J:COMも、J Resourcesは - 今さら 日イのはてな (hatenablog.com)

 

現在の金鉱山は Penjom (Malaysia)とLanut (North Sulawesi)を保有している。低品位の金鉱床ながらヒープリーチシステムを運用・採掘し年間約20万オンスのゴールドを生産している。

彼の述解からの引用しよう。「私の父は石炭産業で非常に著名な人でしたが、私が父の会社を手伝い、関与し始めたのは1997年頃になってからでした。大学を卒業した2000年に、私はより深く関わるようになりました。父の会社は2008年は業界があまりうまくいっていなかったので、2009年に事業を売却する決断をし、父は不動産にもっと力を入れ始めました。それは彼にとって正しいことであり、私は新しい機会を探し始めることができました。その頃、友人から、鉱業の分野に進み、金鉱会社に投資することに興味があるかどうか尋ねられました。面白そうだと思い、イエスと答え、PT J Resourcesとなるものへの投資の旅を始めました。

出だしは運よく簡単のようだが彼は一から鉱物、冶金学、化学の専門を学び2013年に金が危機的状況に陥ったとき、同社の引き継いだ古い鉱山をブラウンフィールドプロジェクトに置き換え。またダイナミックヒープリーチングと呼ばれる独自の特許取得済みの内部処理イノベーションを使用して、最も厳しい時期を乗り越えることができたそうだ。

更に彼は“成功の秘訣は、最も低いキャッシュカーブに位置する金価格を生み出す能力であると信じています。情熱と継続的なイノベーションに裏打ちされ,安全面では、グローバルな慣行に従ってコンプライアンスを遵守し、勤勉に行っている企業と見なされています。”

ジミーの最終目標は、貴金属の採掘にとどまらず、バルク商品に進出することだそうだ。

豪州?拠点のグローバル経済誌CEO MAgazineの記事Gold digger: Jimmy Budiartoから引用した。

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彼はUniversitas Pelita Harapan (UPH)の1997年卒業である。JResourcesの92%を保有している。会社決算はコストが先行しているがこれからであろうか。株価は本年により上昇を見せた。時価総額は4兆ルピア、上位にMerdeka Copper Gold 、Archiがある。

本社はEquity Tower,48Floor, SCBDである。

新首都IKN後のDKJの扱い

 

首都特別地区の「DKI」がJKTの別名(冠)であったが、なくなった後のジャカルタの新しい地位に関する論議がある。DKI JakartaDaerah Khusus Ibukota Jakarta)を単にジャカルタ特別地域(Daerah Khusus Jakarta(DKJ))とすることになったようだが、これだとDaerah Istimewa YogyakartaDIY)と同じで特別州としての名前でありDIYの州都はKota Yogyakartaとなる。その伝でいくとDKIの州都はJakarta Pusat市か?とか言われそうだ。

 

次に、特別の意味は経済などの中心地(ビジネス中心都市)としてであり、それならばJakartaだけでなくJaBoDeTaBekの概念が沸いてくる。この際、どこまで入れるかでチアンジュールまでいれたJaBoDeTaBekJurもある。

 

これを一歩進めてJakarta に合体すると、州をまたぐ、大きな、重大な問題となる。行政的合体でなく集積都市として発展させる構想は、集積地域評議会とか特別機関によって指揮されることが考えられる。

そのような概念を現在の行政に例をとるとPapuaがある。Papuaは現在5つ?の州にまたがるがこれを公平な開発にするためにはパプア開発加速運営委員会がありその長はパプアの場合は国家領域のレベルの問題であり副大統領が任じられたが、それでもその権限は開発政策の調和、同期、評価を任務としている。

 

このジャカルタのDewan Aglomerasishh集積評議会の長と 並行してDKJの首長を直接選挙から大統領任命にする考えもある。

 

今度はインドネシアの経済を握る魅力あるポジションであり、政権の思惑次第ではどのような形も可能であろうしジョコウィの頭の中でいろいろ渦巻まいていたのだろう。

ジョコウィだけでなく他の党からも、例えばPKSはDKIジャカルタを立法国家の首都に、IKNヌサンタラを行政国家の首都にすることを提案している。

アニスも再出馬の観測もあるようだ。

綺麗ごとにするためブタウイが使われることがある。

もすぐ決まることだ。

最近のインドネシア海外観光客

 

1月の927千人は前年同月比で16%アップとなりまあまあの滑り出しである。 1月は季節要因から毎年ピーク8月の7割の水準であるので、コロナ前のピークを抜けるものと期待されている。

過去の実績を推移で見ると下記の通りである。

2023  11,677

2022     5,889

2021     1,557

2020     4,052

2019    16,101

2018    15,805

2017    14,036

日本は2018年がピークで31百万で2023年に25百万迄回復してきたので、状況は同じような感じだが、インドネシアは意外と過去出来すぎの感があるので苦戦であろう。

ピーク時日本は世界の観光立国11位(31,192千人)であったがインドネシアは12,948千人の31位とされたが此の時はインドネシアの数字は2016の推定数字であった模様。

 

現在(2023年)のインドネシアの御三家はマレーシア、シンガポール、オーストラリア2百万がらみである。中国は訳あり頷きの半減(787)であるが、日本は抜かれて行った、気づけば半減の257である。流石地力の米英独の392、335、263やはり想定通りの韓国347であった。

バーデン・バーデン湯の町カジノに学ぶ

世界街巡りのZurichのあとはドイツのバーデン・バーデンだ。Badenとは湯浴み(温泉)であり、それに珍しい重複語なので昔から馴染みがあった。その上、古くからのカジノがあるのだが、訪れるのは今日初めてである。

今日のカメラはBaden Baden, Germany 🇩🇪 The Glamorous Spa Town ☀️ 4K HDR (youtube.com)https://www.youtube.com/watch?v=iYVDF5DxibQさんである。今回は画像を見ながら読んでもらう事とする。

 

事前知識で先にイメージを高めておこう。Baden-Badenは観光保養地の小都市かと思ったが面積はパリより広い147㎞2だが人口はやはり5万人強。南西部のカルルスルーエの南30㎞、更に40㎞南にはフランスのストラスブールがある。国境の間はライン河が北上する山地でシュバルツバルト(黒い森)と読ばれる。浴場はローマ時代にさかのぼる歴史があると言われるほどで、連れてカジノも古いが、現代の設備から言っても、イタリア、フランス、イギリスに次ぐもので、他の諸々のカジノとは一線を引く。

出発は木々の緑の葉陰をくぐり抜けた先の広場で、ギリシヤ・コリント風円柱が16本もある長い宮殿風建物が建っている。Opulentスタイルと言うらしい。(Trinkhalle:飲泉)

回廊には大型歴史絵画が8面ほど飾られている。それは左右にあるが全景はカメラに要らず片側だけである。これを抜けると再度おなじような建物があり

Kurhaus(温泉保養ハウス)と表示されている。こちらの円柱は中央部8本、右翼左翼12本の総計32本となるが右の建物と合わせここがカジノと浴場その他の設備で、前庭のショッピング店舗と大きな公園を形成するようだ。

 

ショッピングを抜け一番左に大きな劇場Theaterがある。

この広場の手前は川がこの地を縦切るが右隅の橋の向こうにAtlantic Park Hotelがあるが、カメラは橋を渡らず川に沿って上流にむかう。

10分も歩いた所で橋向こうに何か公園が見えるので橋を渡り木々の中の道を歩いていくとバラ園につく。バラ園が二つ三つ合体したような広さだ。

ここで方向が判らなくなったので大きく地図で確かめると;ライン河が国境で、Baden Badenは当然その東側で、更にその東側がSchwalzwaldで、Karlesruhe辺りからずっと南のスイスのBasel辺りまで縦に広がる。Baden-BadenはそのSchwalzwaldに食い込むように山地に抱かれている。東側の方が本物のSchwalzwaldで峠にケーブルカーが走り山頂は660mの砦城(ruin)である。

Baden Baden駅は6km北で街は20㎞と南北に長い谷に横たわる。これで自分の立っている位置が判った。

先ほどのKurhausの前庭を南北に縦断する河は川幅6mほどの Ost川でそれに沿う道がKaisersalleeであるがカメラは北からTrinkhalleに入ってきたのである。

先述のAtlamtic Park Hotelの所からKaisersalleeはRichtentaler Alleeとなり並行した川沿いの堤防道を更に南(上流)に向かう。森の向こうにMuseumが三つほど森に隠れてある。Museum LA8, Frieder Murda、その間にKunsthalle)。

Trinkhalleから1,500mも歩いただろうか、今度はBrenners Park Hotelが堂々と立っている。そして川を渡ると先のバラ園である。バラ園とは私が名付けた名前で本当はGonneranlage(散歩園)という。種々のバラが咲き乱れるわけでなく、椅子・テーブル、噴水、彫像、生垣、造園設計を楽しむ場所で弁当を広げる人はいない。太陽の下にいることが最大の楽しみなのだ。

バラ園は横側の入口から出て川の方に戻り今度はOst川を離れ少し西側の道を北にとると先のBrenners Park Hotelの反対(正面)側の玄関を左手に見て更に教会やKongressなど由緒ある建物を見ながら噴水のある広いセンターにでてくる。

なんと、当然ながら左手遠くにKurhausが見える。Ost川を下ってきていたのだ。但しこの辺りKurhaus前広場と街の間のOst川は暗渠になっていた。

Kurhaus前の広場の暗渠を渡りにぎやかな街に向かう。カフェ街である。

 

ここでBaden Badenの街全体の印象書くと、建物は殆ど4階建て(戸建ては見ず)の石造りの重厚な建物(コンクリビルは見ず)で、石詰め(レンガでなく磨かれた石?)の街路で全てが歩道(車侵入禁止)である。ここも要は古都なのである。

カフェBistroをすぎて五叉路があるが、ここに、道の真ん中にも歩道がありつまり歩道が左右入れ3本ある大きな道があることになるが、ここまではバスが入ってくる、

ここが交通の要綱地だろう。(Leopoldsplatz)

街に店の看板は出せないので行ってみないと何屋さんかはわからない、このカメラのゆく所、八百屋や肉屋など生活臭はなかった。カメラは古都Altestadtの北のはずれまで来てまたもどる、

 


坂を上りまた下りこの辺りで中心の教会(Stiftskirche)を中心に縦横にを巡り最後は山中の坂をのぼりPanoramaに立つが見晴らしの写真はなく都合58分のツアーは終わった。

 

 

一寸物足りないので補足しておこう。

ー Spaは町中のホテルにあろうが有名なのはFriedrichsbadである。ここの温泉保養コースはなんと16行程で3時間(約3千円と安い)かかる。ほかにローマ時代遺跡なのかCaracalla Therme(カラカラ・テルマ)もある。

ー Casinoはここは18tabel、144slotマシンであるが開設1838年、設備は最高で高級である。日中見学ツアがある。ドイツはここ以外に意外や80強のカジノ(=.都市)がある。

- GoogleのStreet Viewはとぎれとぎれで Youtubeのカメラを追いかけながらGoogle Mapのstreetをたどるのは出来なかった。ドイツではプライバシーが厳しくGoogleのカバー率は低い。

ー 大阪の夢の埋め立て地の金に狂ったカジノ建設の思い付き為政者に、参考に供しようと思ったがここはなんと世界遺産であった。

Leopoldaplatz

 

 

インドネシア投資環境 1~2月

世界に通用する政治風土へ トランプ―チンに続け

2/29  プラボウォ選挙約束の無料昼食、タンゲランの中学校で配布

2/23 181,583の投票所で票の再カウントを行ったと管理委

2/26 開票作業員とその補助者の死亡114人に、体調不良者は万人

2/29 国会議席獲得のための最低得票率4%は憲法違反と

2/3 ルフット調整相は閣僚のままプラボウォ組支持選挙応援。

2/9 プラボウォにカタール戦闘機 12 機購入めぐる収賄疑惑と EU

1/5 プロボウォ候補がジョコウィと会食の写真を SNS にアップ

1/7 候補者討論会、プラボウォ候補が感情的になる場面などあった。

1/9 プラボウォ候補のジョコウィ長男が市民に牛乳を無料配布

1/29 低所得層への現金給付再び、1,880 万世帯に 20 万ルピア支給、

 

EV戦争決着むけて熾烈

2/20 VKTRテクノロギ(Bakrie)、EV開発でインドモービルと提携。

2/21 2023年のEV販売17,060台、24年は5万台目標と政府。

2/27 VKTR、電気バス・トラック組立工場の拡張、比亜迪の商用車も

2/2  BMW、EV の「iX x  50 スポーツ」発表、26.65 億ルピア。

2/5 ミツビシ、ブカシ工場製 SUVの輸出開始、同日は越へ 500 台

2/5 チェリー、『オモダ E5』発売、航続430km、工場建設計画。

2/15 MG モーター、MPV の EV(航続 540km)、ステーションワゴン

2/15 現代自、小型 SUVクレタ』の新型発売、チカラン工場製で

1/24 シトロエン、インドモービルのプルワ工場で EV 生産計画。

1/18 ガソリン使用二輪車に課税か、大気汚染対策検討。

1/18 自動車の充電ステーション設置数 2,704 基、目標の倍以上。

1/17 トヨタ、水素自動車エコでプルタミナとMoU、高速充填ステ着工。

1/18  BYD、50 ディーラー開設と工場建設(年産15 万台)の計画。

1/5 ビンファスト(越)、中型 SUVの EV 市場に参入へ、工場も計画。

1/8 ポリトロン、Eバイク「Fox-S」発表、航続 70 ㎞、Rp1,880万。安値

1/9 LX インター(韓)、カルティコに 60%出資へ、ニッケル採掘。

1/10 MG モーター、チカラン組立の SUV の EV『ZS EV』の販売

 

温暖化防止 日本企業は海外で伸び伸び

2/29 岩谷産業、イのガス充填設備を増強、代替フロンの再生も開始。

2/28 BEMAC今治)、洋上作業船用自動船位保持装置(DPS)受注。

1/30 海外から CO₂調達・国内貯留可能に:大統領令

1/27 プルタミナ地熱、南スマ発電(三菱商)建設中、北スラウェでも

1/17 住商日立造船、廃棄物発電事業でUTと合弁会社設立。

1/18 石火発電でのバイオマス燃料、昨年は 283 万トン、 3 倍増目指す。

 

2023通年経済指数 悲喜こもごも停滞24年へ

2/5 2023 年GDP  5.05%。 1 人当たり は 4,919.7 米ドル、5千達せず。

2/1  2023 年 外国人訪問客数 前年比 98.3%増の 11,677,825人。壁見ゆ。

2/20 2023年の重機生産台数、前年比8.6%減の8,066台と協会。

2/21 スマランの繊維会社2社で計5,300人の解雇とヌサンタラ労連

2/22 2023年の経常収支15.67億ドルの赤字、GDP0.11%。

1/7  二輪車販売通年は 6,236,992 台で24 年目標は 620 万~650 万台。

1/10 2023 年の自動車出荷 1,005千台、小売は同 1.5%減の 998千台。

1/15 2023 年輸出11.3減の 2,588億ドル、輸入6.5%減の 2,219 億ドル。

1/15 2023 年の石炭生産は前年比 13%増の 7.75 億トン

1/16 2023 年のフェロニッケル生産は前年比 3.6%増の 53.52 万トン

1/17 2023 年の国内電子商取引高、4.7%減の 453.75 兆ルピア

世界の中でかじ取り

2/20 OECDがイの加盟交渉開始を決定。

2/17 ガルーダ、4/4 にドーハ直行便就航、ジッダ線に加えて中東強化

1/30 腐敗指数ランク: 115 位にダウン、1位デンマーク、日本16 位。

1/11 独が持続可能な開発支援 6.2 億ユーロ、渋滞緩和、温室効果ガス。

 

日本企業、旧来産業も

2/18 阪急阪神不動産、ボゴールでのタウンハウス開発第 2 期に参画

1/26 日東タイタン、精密切削工具ブローチ再研磨サービス工場オープン。

1/5 角川、グラメディアと東南アジア最大のアニメ、ゲームプロバイダー。

2/15 ハウス食品、イ合弁会社通じて家庭用カレールー発売

1/23 三菱エステート・アジア、バタムでのコンドミニアム建設を検討中。

 

インドネシア企業は:

2/1 インカ・マルチ・ソルーシ、NZ 鉄道向けに車両 450 両供給へ

2/1 カルベ、プロガドゥンで放射線医薬品工場着工、投資 2 千億

2/4 クレタ、日本からではなく中国企業から鉄道車両調達に転換。

2/6 イントラ・ゴルフリンク(バンバン長男)、ゴルフ場開発へ。

2/13 グダン・ガラム、クディリ空港の次は高速道路クディリ 44.5km

 

 

税収・経常収支どうする

1/1 電子タバコへのたばこ税課税開始。

1/1 酒税も値上げ最大 29%。

1/5 JKTの娯楽税 25%(カラオケなど)35%(マッサージなど)から 40%に引上。

2/12 コメの供給不足続き、政府の小売価格上限11,800 を1割強上回る。年15%アップか

2/22 2023年の経常収支15.67億ドルの赤字、GDP0.11%。

 

 

J一つで日本代表 J:COMも、J Resourcesは

 

 

SBI/SBJで序に触れた J TRUSTは在インドネシアの銀行の日本代表なることと辞書で確認したわけである。

1993年、J ひとつで日本代表となったのは J リーグだがその前のJ-POPはK-POPとともに過ぎて行ったが、他にJ一つ冠して企業名にしてるのは:

J: COM(ケーブルテレビ)、

J-POWER (電源開発)、

J WAVE(東京地区のFM放送)、

J REIT不動産投資信託)、

J TELE(視聴チャンネル)、

J-FRONT(FAST RETAILING)

J TECH(システム開発)、J-CARRIER、J-SOURSE,,,,,,,,,がある。

キリがない。しかし、

J Resourcesは、インドネシアの中堅ゴールドプロデューサーだ。

なぜJなのか、Jにキリ込むインドネシアである。

J:COMは利用したいなと思いながらとうとう20年が過ぎて行った。

チューリヒの ヴァーチャル・リアリティ街巡り2

先に続きチューリヒに没入しよう。

カメラはGrossMunster近くの橋から河岸をさか上るがその道は建物の階下だったりする。河岸と幅のある道であればまたテーブルで憩う人たちがある。



河の流れは満々として、青々と透き通っている。白鳥が一羽泳いでいる。素晴らしい。

 

河岸の小道を離れ坂を上ると丘の頂上は公園(ここがリンデンホーフの丘だ)で眼下に河と河向うの東岸の古都市が見える。

 

丘を降りてまた河岸の小道を辿り幾ばくか行くと、橋に行き当たりここで西岸と別れ橋を渡って東岸を歩く。東岸の河岸の道は市電の走る道なのでこれを避ける東岸の古都市は西岸と全く同じ噴水・銅像・広場・パラソル・レストの花盛りでいつか下ってgrossmunsterの門前へ。さらに南にはオペラハウスや観覧車のある公園があり交通の要綱かもしれない。

 

橋をまた西岸に渡って戻る。この辺りにきて市電や行きかう車の存在を知る。歩き出してから1時間が過ぎた。

西岸にきてこの辺りは現代都市のなか、公園を通り抜け、市電に沿って北に向かう。現代都市と言っても建物は重厚な石造りであり1階の商店はファションなものが多い。

この中クラスの通りの街路樹は自然に任せているが市電には邪魔になってないようだ。

歩道は広く縦型ベンチが横置きとなっており、車道と段差がなく乳母車(結構多い)もすいすいとスムーズに押せる。走っている車は少ない。駐車している車も多い。絶対どこでも駐車禁止ではないのだ。

 

東の Grossmunsterに対して西にはFraumunsterがある。その北にSt.Peterが見える。

西寄りに進むと昔のガーデンパーク或いはVolkerkendemuseumがある。ここを前述のLimat Riverの支流が流れて来る。ひざ下の深さの清らかな水である。あちこちに恋人たちが川辺で足水をしている。

 

川辺の道は幅2m程度でドコまでも続くが中央駅Bahnhofの近くで一般道に出てendeとなる。

    

               HauptBahnHof

全行程1時間30分、町の中心のアルトシュタット(古都)の部分だけであったが、チュリッヒの見るべきポイントの9割をカバーしているようだ。

⓬ Zurichは皆が元気に歩いている。自転車も少ない。杖を持つ老人は一人二人、犬猫連れは見かけない。歩行者優先で普通は信号はない 車は自己責任だ

⓭ 20もの路線がある市電の力であろう。しかも市電は5~6両編成と長いが支障になってない。

                                                 From Hauptbahnhof