ジャカルタ今昔 日イのはてな

ジャカルタ中心にインドネシアの報道からその今昔と日本・世界への繋がりを探る

ジャカルタの河川と東京の河川

River City Tokyo & Jakarta
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ジャカルタに居る時はジャカルタの洪水の度に、頻繁洪水地や川の水路図が解ってないと、移動が出来ないことが多く地図で辿り論文にしたことがあったが、その時は河川数は13河川であった。
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大手はチリウン、チサダネ、チタルム川であり、大運河に東洪水運河と西洪水運河があった。洪水を起こす運河と勘違いしそうだが、これは洪水対策のための運河である。
両都市を比較しても仕方がないが、とにかく不案内すぎる東京の地理を学びたいため、TVの台風・洪水ニュースから河川をなぞってみた。既に利根川東遷や隅田川、荒川、中川、江戸川放水路などは個別にブログにしたので残るは多摩川鶴見川、目黒川などであろうか。東京は暗渠化されたものが多く開渠で有名なものは神田川である。
ジャカルタの東西の幅は約65㎞、東京は奥が深いので横須賀~木更津とすると140kmもあるだろうか。そうなるとあと4つほど付け加えることになる。それを全部上げておこう。上流と中ほど中継地及び河口の位置を書いて見る。
別格:利根川:吾妻等上流8ダムから渡良瀬川やそこへの思川、鬼怒川や小貝側を合流し銚子へ。取手で江戸川への運河あり。

① 江戸川:野田の北関宿から 北7kmの権現坂で利根川から分流、松戸市川を超え行徳水門で放水路 旧は旧江戸川
② 中川:上流吉川、水元 八潮 三郷を超え河口は旧江戸川と合流
③ 荒川:川越、志木、戸田、あたりで日暮里舎人菖蒲園、又川越当たり入間川を合流 綾瀬川となり又中川若洲を越え荒川放水路が河口へ:夢の島・葛西公園で湾へ
➃ 隅田川:川口浮間辺り(水門は岩淵)で荒川から分流。かっての荒川。河口は
晴海・浜離宮・上野 南千住手前で荒川に接近、
➄ 神田川:井ノ頭から水道橋など越えて隅田川に合流
⑥ 目黒川:世田谷区から河口は品川
⑦ 多摩川多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で東京湾に注
ぐ。下流は東京都と神奈川県の都県境となっている。全長138km、護岸化されていない
部分が多い
⑧ 鶴見川:町田市の泉を発し麻生区青葉区都筑区と通り神奈川区生麦の近くで海に出る。
大分外れるが、
⑨ 相模川:山梨の桂川を源流として大月から八王子、相模原の東京圏は通るが駿河
湾の平塚に出る。
➉ 花見川:印旛沼排水用 八千代から東京湾
⑪ 養老川:市原
⑫ 小櫃川:木更津
迄リストアップしたがほぼ同数となった。しかしTVで言う川の名前で一文字の名前が多く支流とか合流河川などであろうがメモしておいた。袋、石、田、芝、桜、烏、浅、姿、境。。。
これでやっと河シリーズは終わった。堀内孝雄のカラオケがいい。
www.youtube.com

即位礼正殿の儀の日に

Era Reiwaf:id:nishimikyohei:20191022100522j:plain
昔のスクラップで処分をためらい本日を待っていた写真がある。今日は令和天皇陛下
御即位の儀式が行われる日であり、その写真をスキャンにしたのは令和になった直後だ
ったので5ケ月超過ぎているが、あの頃雅子皇后陛下の明るさと神々しさにおどろいたも
のだ。それがこの写真を今日の日に残すことになった気持ちである。このスクラップの
新聞は今見るとObserver誌のミレニアム特集で最後の年、1999年の出来事でベストを選
んだ記事であった。添え記事は1999年11月29日,雅子様の36才の誕生日を控えた記者会見
の写真だが、この時も雅子さまは絶頂である。
令和の弥栄を寿ぎ安寧を祈りたい。

旧荒川と新中川 子に従う

Old Man River jes keeps rolling on

旧江戸川の河口は江戸川の名前を開放路に差し上げたので自らは身を引きここは中川と称している。というより旧江戸川が河口に近づいた当代島辺りにはもともと北から来た中川があったからである。この中川はGoogleでは京成高砂辺りまでは新中川と表示され又北上は中川に戻る。
と言うのは中川本流は荒川方面に向かい荒川の川土手を借用しながら平井から葛西の東西線鉄橋の先で初めてf:id:nishimikyohei:20191023101803p:plain荒川と合流する。これは多分地図上だけで、日常的には旧中川本流は荒川と合体したものとし新中川を本流として中川と呼称するのであろう。
つまり新しくできた方が元の名前を使う江戸川と同じであり、これは又荒川放水路にも言える事である。つまり荒川本流は岩淵あたりで荒川放水路となり、旧中川本流を合体し葛西で海にでるが、現在はこれを荒川(本流)と呼ぶ。さすれば元の旧荒川は上記赤羽あたり(もっと上の浮間辺りか)から隅田川と名前を変えるのである。
つまり東京の代表的3大河川の名前は、いずれも新しく開削された水路が本名を名乗り老いた方は旧を冠され、失せるか、新しい名前を得て後進に譲っているということである。初めて知った三つの秘密だった。f:id:nishimikyohei:20191021092828j:plain

9月投資環境ニュース 興隆と減退

A. 粛々電気自動車化進む
9/4  インドネシア・エレクトリック・モーターショー2019首都で5日まで。
9/4  トヨタ・モーター、2022年に電気自動車の生産開始計画、SUVとMUVから。
9/5  電気自動車の所有者に税務便宜や通行規制の免除などの諸便宜を付与
9/18 5年経過した私用車に排気ガス試験を義務付け:道路交通法改正案。

B.高速交通網は力ずよく進む
9/13 ランプン~パレンバン(438km)高速道が10月にも開通見込み、投資計56兆ルピア
9/14 スラウェシ・マナド~ビトゥン間高速(40km)年内に土地買収完了か
9/20 第2首都外環高速道(111km)2020年開通見込み。全国で 19年に延べ1千キロへ
9/24 5時間半で結ぶジャワ北岸高速鉄道計画の事業化調査日イ合意。

C.露見するどうにもならなさ
9/9  今年の外国人訪問客数目標を下方修正2千万人→1,800万人→1,600万人
9/18 訪日イ人、1~8月は前年同期比0.3%減の25.73万人:日本政府観 光局。
9/18 自動車販売、1~8月は前年同期比13.51%減の660,289台:ガイキ ンド。
9/20 赤字の国家健康保障、自営登録1,500万人が保険料滞納は103兆ルピアに上る

D.国民反対デモの中、国内騒然化
9/24 パプア分離派、人種差別反対暴動、これまでに33人死亡、まだ6千人の避難民
9/25 KPK弱体化法や刑法めぐり大規模デモ、高校生まで早朝まで警察と衝突
9/24 人口中絶や同棲、不貞行為、女性の夜間外出等罰則強化刑法、審議延期か
9/17 改正婚姻法が国会可決、女性の結婚年齢16歳から19歳に引き上げ。改正?

E.日系の動きの記録
9/10 MCペット・フィルム、チレゴンにポリエステルフィルム生産へ、投資1.3億ドル
9/18 千代田化工、ドンギ・スノロLNGプラントにAI適用し増産達成。
9/19 日本触媒現法、アクリル酸製造設備増強(投資約2億ドル)にタックスホリデー取得。

F.一寸記録
9/3  西ジャワ州都移転案が州議会で可決、準備調査へ。
9/9  ヘイズが最悪。約100便が欠航、赤ちゃんが死亡など数十万人が病気、故意?
9/27 大規模工業に向こう10年の間に廃棄物3割減義務づけへ、大臣令検討中と環境相
9/19 創造的経済法案が国会審議、知的財産権を担保とすること可能に

Travelokaもユニコーン

日本の旅行予約サイトと言えば楽天トラベルだろうか、楽天の純資産或いは売り上げは連結で1兆を超えるので、100億ドル規模か、しかしこの中にECを含むのでトラベル部門は半分以下で相当低く見積もらねばならないだろう。

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gambatte Garuda 
インドネシアではトラベロカTravelokaである。インドネシアユニコーン企業4番手になるようで、こちらの創始者はフェリー・ウナルディで、若い30才過ぎの青年である。伝記を紐解くと、1988年、パダン生まれの彼はパデュー(Purdue)大学で、コンピュータサイエンスとエンジニアリングを専攻した後、シアトルのマイクロソフトでソフトウェアエンジニアとして3年間勤務したが、更にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得ため入学したが、第1次セメスターでフライト予約会社をつくることを決心し直ぐ退学した。このきっかけは自分自身の米国とインドネシア間(Indianapolis to Padang)のチケット購入の難しさと複雑さを実感したことからで、すぐハーバードでの継続を打ち捨て、インドネシアに戻りこの事業に取り込むことにしたのである。それは2012年の事であったが、現在では100社以上の国内外の航空会社と提携し、月間1,000万人以上のユーザーを登録しており、2017年にはエクスペディア社、イースベンチャーズ、JD.com、セコイア・キャピタルなどの企業から約5億米ドルの投資を受けている。
彼自身の純資産は2018年で1.4億ドルであった。世界ではここに出資したエクスペディアだろうか。エクスペディアの売り上げ高は112億ドルで、航空機会社500社と提携、50万のホテルがつながっているそうだから、少しは比較できるだろう。日本では今トリバゴの宣伝がすごいが、此方は2008年ドイツの大学生が始めたもののようで、いまはExpediaが買収している。

銚子から日本橋へ

The River Tone, Edo, Konaki
昨日の台風はいつもの通り大きな爪痕を残して去りつつあるが、この爪痕は我々の考え方を今までと変えて、多くの変革を大胆にやらねば終わりが来ると言う危機感を共有することになったと思う。災害対策を憲法改正の目玉にし、世界をリードする心構えと世界が納得する大胆な災害対策が政治に求められている。その為には災害・環境・安寧に携わらない部門の小さな政府化が必要だ。小さなことを複雑にする付加価値税や通信や地方活性や財政面の下手な行政リードや規制が多すぎる。これら無駄なものを災害対策をベースにしたものに振り向かさせねばならない。
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所で昨日、洪水危機で我が家の近くの江戸川の水位が刻々と解かる頁を見つけた。国土交通省であったが江戸川全体で立った10個1時間置きかな。TVは河川や海岸に見に行かないでくださいと叫ぶだけで防犯カメラを付けたくなったが、既にいくつかは国交省にあったのだ。が、期待に添えるようレベルアップさせる事が必要だ。TV局や気象庁は見に行くなと言うだけでなく、これを広報しなければならない。

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しかし小生は、一応これで安心し、見に行く必要は無くなった。この行徳地区は多くの寺社があり、皆重文など洪水で流されているが、多分放水路(江戸川 大正8年完成たったの5年)が出来てから洪水は減ったのであろうが 


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元の江戸川は旧江戸川と称することになりここに日本橋との間の航路の常夜灯がある。日本橋まで直ぐ近くの海を使わず、川にしたそうだが、小生はその地区に足を踏み入れないのでその川はどこにあったのかしらず、今地図で確認することになる。
行徳は、塩の産地で、この生命の綱の塩を江戸へ供給することと、江戸人の成田参拝の中継地で、この航路・船旅が利用された。旧江戸川は浦安(当代島)で北から来た中川と合流するがこの中川を横切り対岸の新川に入り更にこの運河を西に進むと船堀に付く。ここに北から荒川が流れているが対岸が小名木川である。小名木川を西進すると墨田川に出て対岸がもう日本橋浜町あたりとなる。
間違いがないかいずれみてみたいものだが。。
昨日に戻って銚子から利根川に入った奥州の物資は江戸川に入ってこの航路で日本橋に着くのであるが、少し後代には取手辺りから江戸川につながる利根運河が作られ航路短縮に一役買っていたそうである。

元和の利根川東遷

Tokyo river edogawa from tonegawa
昨日のブログの「東京環状道路網」の一つ、明治通りが墨東辺りに迄でもあることに驚いたことがあり、更にこの辺りに大正通りを発見しブログにしたことがある。 昭和通り日本橋近くを北上する所にあるので、あとは令和が気になってくる。所で、小生は未だ令和に慣れずどうしても江戸時代の似た元号に出くわす。
元和 1615年頃 
天和 1681年頃 
明和 1763年頃
享和 1801年頃  これらは小説などに出た年数なので頃としておく。
唯元和はげんなとよぶが、河村瑞賢の時代(元和4年生まれ)で彼は奥羽地方の米を江戸や大阪に輸送する航路を始めて、富を為したが淀川などの治水事業にも貢献したことは間違いない。
先般房総の台風災害に際し、9月17日「いつから災害大国」というタイトルでいきりたったが、日本の治水の歴史はそう簡単な話ではないようだ。二宮尊徳様も利根川利水の提案こそおこなったが救民、財政改革とかの経世が中心であったように治水よりも利水、或いは上流・下流、対岸との調整もあるようだ。先を急いだようだったのでトーンダウンはすべきだろう。それにしても、日本の課題は多いし無くなることはないようだ。
元和と言えば、そして利根川と言えば、利根川東遷の事業がある。東京へ流れ来る利根川を銚子に流れを変えた事業である。 その地図を見て成程東京の洪水対策は江戸初期からやって来たのだなと安心したことがあったが、今近づいている台風15号など記録的な台風次第では、中央区まで大洪水になる予想などが報道されており、この、先延ばしにしていた小生の学習の課題「東京千葉の洪水の可能性」が喫緊の問題になって来たのだ。それはさておき、昨夜何気なく見た家康の江戸建設についてのYoutuberで、奥州からの物資の航路で黒潮とぶつかる犬吠埼あたりから危険度が高まるので、それが利根川東遷事業とも関連していたことである。東遷なった利根川の河口の銚子港から利根川を遡上し江戸の北で江戸川に移る、より安全な航路があったということである。 
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自宅付近はこの江戸川があり、毎年洪水に見舞われたこともあり大正時代に放水路が引かれたが、この放水路を江戸川と言い元の江戸川は旧江戸川と言い浦安に抜ける。自宅の洪水の準備に取り掛かるため、また続きとする。

追補:10月13日;江戸川は延長60㎞、利根川とは野田付近の関宿で分流する。 後代、取手との間に利根運河が出来る。
中央区までの大洪水:TVチラ見であるので正確には解らないが江戸川と荒川が同時に氾濫する未曾有の洪水を言うようで中央区など他人事でないことを今日知る。