ジャカルタ今昔 日イのはてな

ジャカルタ中心にインドネシアの報道からその今昔と日本・世界への繋がりを探る

5月の投資環境トピックス:ゴールデンウイークとレバランで経済ニュースはミニ畑にメガトン二つ。
INPEX、マセラLNG鉱区開発権取得200億ドルでエネ相来日。―>6/26合意へ
* 中国ペガトロン、アップル向け部品生産をバタムに移転投資 へ、15兆ルピア

社会法規は後進性丸出し
* 砂糖プラント建設債権回収めぐる訴訟で、シュガーグループが反訴77.5億ドル
* 大統領選がらみのジャカルタ動乱再現、悪役コストラッドなど暗躍、
*  黒装束暴漢主要都市で大暴れ1,000人規模、
* 政府 高官数名の暗殺未遂浮上、
* ブカシではWifiで遠隔操作爆弾など押収、
* プラウボウォは選挙無効をぶち上げて国外へ、
* 選挙の最終は最高裁判決まで持ち越し
* 首都移転は本気か:総事業費323兆~466兆ルピア見込み。候補地はカリマンタンに絞る
* 国営電力PLN社長:発電プロで収賄逮捕やビザ違反見逃し収賄など、汚職の粗さ
* 警視庁が労働問題の専門窓口開設、賃金未払い等労働者からの相談受け付けて仲裁

華人経済人はじっくり分析へ
* スルヤチプタ、インダストリー4.0に向けた研究開発施設を開設。
* モフタル・リアディ社会政治リサーチセンター開所。

記録に:
5/21 みずほとMUFG譲渡性預金(NCD)発行、計2.32兆ルピア。

INPEX マセラ鉱区取得の偉大さ

Great Masera/Abadi


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Gas field Abadi from TribunBisnis
つい先週6月16日、インドマルコの時事ニュースに「INPEX、マセラ鉱区LNG田開発・プラント建設計画でイ政府と正式合意、投資200億ドル規模、来年後半の生産開始が見込まれている。」という報道があった。200億ドルとは大きな金額であるが、年間のLNG生産量は約950 万トンで、日本の輸入量の1割強に相当するという画期的な権益である。2010年には生産に着手し、2055年まで自主精算できるわけでその鉱区の大きさは2,503km2、小生スタイルで比較するとBSDの42個分、或いはパリ市の20倍、バリ島の約1/2の大きさである。


f:id:nishimikyohei:20190624140207j:plain場所アラフラ海のど真ん中、チモールと豪州ダーウインの中間点の海底となる。Shellとの合弁で日本側が65%を抑えている。
素人ながら数字をいじってみるとLNGの1トンは約10.5バーレルとのことだから、9,500,000トン x 10.5 Bl /365=273,000バーレル/日となるのだろうか。この点を探るために数字集めなどをした結果
1. 経産省の日本の石油・天然ガスの自主開発引き取り量は、H29年時点で石油換算で145~153万バーレル・日である。これは総需要の27%である。逆算すると総需要(=総輸入)は558万BDとなる。
2. 経産省エネ庁の別の報告資料では2015年原油輸入は337万BDでインドネシア比率は1.7%、自主開発輸入は8,505万トンでインドネシアの比率は6.9%である。
3. 上記2は原油のみとして、且つ年度の差は無視して、337万BDと558万BDの差はガスとすると、ガスの8,505万トンは同様 10.5 Bl /365 =245万BDとなる。おおむね一致する。
4. 上記2の8,505万トンに対しマセラは950万トンならそれは11%で報道と一致する。その時インドネシア全体が6.9%ならマセラはその時のインドネシア全体のLNGに匹敵或いはそれより大きい数字である。又LNG全体245万BLの11%は上記273,000BDと一致する。ここまででの結論は、マセラの950万トン=27万BD=石油ガス総輸入558万BDの5%、にもなるということである。更に色々先を考えると疑問は尽きないがブログでやるテーマではないのでここで筆を置く。

老舗メガネ屋 Lyly Kasoem

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Kasoem 2015
Dharmawangsa のHandokoから迷い込んだHanson InternationalのBenny Tjokrosaputraの祖父はKasom Tjokrosaputraであったが、このKasomと見間違った名前にKasoemがある。ジャカルタで見るインドネシアのメガね業界は大手が支配しており、大きな新しいMallには殆どこの眼鏡屋が店をだしている。その一つがLyly Kasoemである。創業者はA .(Atjoem) Kasoemで1916年生まれ(1979年没)、ガルット出身である。彼は貧農の息子であったがオランダの眼鏡屋で働く伝手があったのかそこからドイツ人経営者が事業を引き継がせる目的で修行させ、終にはこの店を購入し、最後は眼鏡の工場まで運営したが、この工場自体は金融危機の際に閉鎖されている。
彼はインドネシアでは初めてのプリブミの事業家となったが、やはり、当時華やかなオランダ植民時代の新しい文化を謳歌していたオランダ人の店の丁稚奉公から始めたのが成功したのであろうか
現在は娘さんになろうか第2世代のIra Kasoemが頑張っている。彼女自身は従来のLily Kasoem Optical ラインの他にLily Kasoem Atelierを作り、高品質で手ごろな価格をモットーに競争力を維持している。ブランドはデンマークLindberg 、パリのAnne & ValentinやMykita、Cutler & Gross、Moscotなど輸入ものが多いが、日本の自慢物は及びではない。OutletはPlaza Indonesia や Pacific Place、他に最初の店Bandung、Yogyakarta、Semarang、Surabaya、Denpasarなど12を数える。ジャカルタのチキニラヤ通りに大きなKasoemの店があるが、2015年当時2階を増築し訓練センターになっていた。 この記事は ジャカルタ今昔あれこれ2の続きとなっている。 奥ゆかしさで日本のCMと比較できる。

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a kasoem 2008

タマン・アングレックとスケートリンク

Ice Skating at Taman Anggrek

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mall taman anggrek
レバランやジャカルタ生誕祭のホリディシーズンのTempat Wisataで、必ず紹介されるのがTaman AnggrekのSkyrinkアイススケートリンクである。Sパルマン通りから見て世界一(ギネス)のLEDの広告板が目に付くタマン・アングレックのモールの4階にある。小生がそこに行ったのはもう20年も前の事で、リンクの近くだったか中華ホットポットを食べながら眺めたものだった。
そこから巣立った世界に活躍するスケーターは未だこれからであるが、インドネシアは既に世界のゲームに参加しうる国際スケート連盟に参加している。ちょっと古いがインドネシアのMaghrisa Regita Maharrani Trah Gagarin(長い!)がバンコックで行われた国際アイススケート・チャンピオンシップで三つの金メダルを取ったニュースすらあった。ジャカルタには2ケ所程度しかスケートリンクがないが、もっと上のクラスに行くには国際規格のリンクとコーチ陣が少ないのが壁になっている。しかし先般オープンした日本のイオンのチャクンのモールにもアイスリンクが併設されていたのが明るいニュースであった。
このTaman Anggrekのモールは8棟のコンドミからなっており7階建てのルーフがつながり住民の為の広大な屋上公園になっている。ここはあのムリアグループが1996年にオープンしたものでコンドミは2,800戸からなり、又モールは528店も入居している東南アジア随一を誇っていたはずである。 ここは市内環状高速がタンゲラン・メラック高速と合流する地点にあり、建設時は荒地だったのだろうか。 
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taman cuttleya
その手前に古い木造4階建てくらいのホテル・アングレックが建っており前にはは池と広大なガーデンがあり、昔のポップスのシューティングの場所であったが今はカトレア公園になっておりそこから少しずれると現在大きなホテルがメガ・アングレック・ホテルとして営業している。
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mega anggrek

やっと解ったスプリングヒル

高層コンドミのテラスから空中遊泳をするのが連想されて、2度も、3度もブログに登場させたスプリングヒルと言うグループであるが、そのオーナーとか親会社が解らずSpringhillグループとしてのみで躱して来たが、やっとその正体が判った。

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Springhill kemayoran
Springhillはジャカルタ・クマヨランのゴルフ場に通っていた時代だから多分10年も前になるのか、戦友の建築設計士が気に入った素晴らしいレストランが近くにあると言うので付いて行ったがあまりに多くのスプリングヒルがあり、結局見つけることが出来ず、偶然グループの販売促進展をやっていたのを見てこのグループのプロジェクトに感心した思い出がある。彼の経験・知己の中にこのオーナーが居たのであろうが、当時はその話題にすることもなく過ぎて行った。ちなみに今このSpringhillのサイトから彼らのプロジェクトをいくつか挙げると
Springhill Golf Residences, Springhill Golf Terrace, Springhill Golf Mansion, The Boutique Apartment, The Royale Springhill Residences, Springhill Royale Suites, Springhill Terrace Residences, Springhill Officeでこれらはジャカルタ・クマヨランにあり The Green Court, The Green Court Lake, The Green Court VIKOはチェカレンに、他に

Plaza Kota Business Center, 更にPalembang, Bandar Lampung、MalangやバリジンバランにもSpringhillを冠した物件はある。そしてオーナーとしてYanki Regan 氏がSepang Goldcoast Sdn. Bhdという会社名と共に出ており、小生が長く馴染みがなかったのはマレーシアである為であることが分かった。

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Avani gold coast
マレーシアの事はあまりわからないがネットで手繰って行くと彼らの開発したリゾート、“AVANI” ゴールド・コーストのすばらしさに心打たれ見果てぬ夢に馳せてしまった。ドバイの人工島を思い浮かべるパームツリー状の海上コテージ群である。下手な文章より写真付きGoogleのMapを掲げておこう。Avaniとはサンスクリットの地球の意味らしい。
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Avani Palm Tree
スプリングヒルと言う名前は世界各地で地名や施設名など多くがあり、これをグループ名にして世界制覇しようとする心意気か

経済特区、総合特区

KEK atau TOK

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KEK map
インドネシア経済特区(SEZ:KEK)は現在以下の12ケ所が定められ中で最近のニュースでは西ジャワのスーパーKEKやバタムのKEKがある。
① 2012年政令第26号  タンジュンレスン経済特区バンテン州
主要産業:観光
② 2012年政令第29号  セイマンケイ経済特区北スマトラ州
主要産業:パーム加工、ゴム加工、ロジスティック、観光
③ 2014年政令第31号  パル経済特区中部スラウェシ州
主要産業:ニッケル・鉄種加工、カカオ加工、海藻、ロタ ン加工、ロジスティック
④ 2014年政令第32号  ビトゥン経済特区北スラウェシ州
主要産業:パーム加工、水産物加工、医薬、ロジスティッ ク
⑤ 2014年政令第50号  モロタイ経済特区北マルク州
主要産業:水産、加工、ロジスティック
⑥ 2014年政令第51号  タンジュンアピア経済特区南スマトラ州
主要産業:ロジスティック、ゴム加工、パーム加工、石化
⑦ 2014年政令第52号  マンダリカ経済特区(西ヌサトゥンガラ州)
主要産業:観光
⑧ 2014年政令第85号  トランス・カリマンタン・マロイバトュタ経済特区
主要産業:パーム加工、木材加工、ロジスティック
⑨ 2016年政令第6号  タンジュンクラヤン経済特区(バンカブリトゥン州)
主要産業:観光
⑩ 2016年政令第31号  ソロン(西パプア)
主要産業:造船、ロジスティック、農林水産物加工、鉱業
⑪ 2017年政令第5号 アルン・ロクスマエ(アチェ) Arun Lhokseumawe
エネルギー、石油化学、アグロ
⑫ 2017年政令第42号 ガラン・バタン(リアウ諸島州)Galang Batang
             アルミナ精錬、エネルギー、電力、港湾



バタムは1970年代から保税機能から自由貿易が認められスハルト崩壊後優先性が問題となったが、結局2006年にバタム・ビンタン・カリムン3島の自由貿易が再確認され認められてきたが、今回バタム島に「アエロ・マリンシティー」、「ウオーターシティー」及び「レンパンシティー」の3カ所の経済特区の設置を計画しているものである。法的にバタム3島はいずれ経済特区の中に位置づけられることとなっている。
経済特区と言うのは世界的には1950年代からあるが現在の外資誘致を主目的とする特区は中国・台湾で1970年代に見られインドネシアKEKの前身的KAPETが1993年から芽生え法制化されたのは1996年で全国で15ケ所が指定されていた。現在のKEKとロケーションを対比したら1ケ所しか同じものはない。機が熟していなかったとしか言えないが、これを廃止してKEK制度にしても実害は生じない程度のものであったようだ。経済特区の便宜の内税務についてはKAPETの時代より関税・付加価値税・PPH22の不徴収とか損金算入拡大とかの所得税の扱いはおおむね同じようなものであったが更に所得税の軽減にも踏み込んでいる。
日本は2013年に打ち上げた安倍内閣の国家戦略特区が有名であるがこれは全国10地域11分野で92事業を数えているがそれまでは総合特区制度で中身に国際戦略総合特区と地方活性化総合特区に分かれ41事業を行い、他に構造改革特区もあり、よりきめ細かいと言える。(内容詳細は内閣府のサイトに詳しい)

レバナ経済特区

Rebana super KEK
西ジャワ州首長のリドワン・カミル州知事はこのほど西ジャワのチレボン、クルタジャティ、パティンバンを繫ぐ三角形の地帯を、或いはその中に巨大な経済特区を構築することを提案された。パティンバンはタンジュンプリオクを代替する新港湾ターミナルであり、クルタジャティはスカルノハッタ国際空港又はバンドン空港(H.Sastranegara)を代替する国際空港である。

チレボンはこの地帯の都市圏チレボン、バンドン、スバン、マジャレンカを代表する港湾都市でバティックやイスラムの色濃いスルタネートである。州知事はこの地区をジャワ・ムスリムの打楽器名でもあるレバナと名付け、又新しいコンセプトとしてのスーパーKEKを提案しているのである。(Segitiga Rebana :Cirebon, Patimban, Kertajati)
実際はこれを物流パーク、創造・技術パーク、エネルギーパーク、航空宇宙パーク、住宅エリアの五つのエリアで11のKEKに細分されたもので合計は3,460haの面積を有する。(この部分はNNAから)

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レバナ 
この新しいコンセプトにはいい着想だと感心するものがあるが、インドネシア経済特区は2009年の経済特区法が制定され、指定は政府の権限とされ全国経済特区評議会(Dewan Nasional KEK)が管理しており、このスーパー特区は今後どのような手続きが取られて推進されるのか注目である。現在2017年政令42号を最後に12ケ所のKEKが制定されているが、6ケ所がオープン完了で残りは今年中に準備出来る(2019年1月現在)とか言う推進状況である。経済特区は1970年代中国や台湾などで外資誘致や輸出強化を目的としたもので、インドネシアもバタムの自由貿易とかKAPETの歴史がある。日本は言わずと知れた岩盤戦略特区である。