今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

マンチェスター大学への道

今日の出発地はMidland Hotelである。ホテルの正面は円柱形の建物のManchester Central Llibraryで、前庭から始まるOxford Streetが目的地のManchester 大学の表玄関まで南に向かってまっすぐ繋ぐ易しさだ。 

Midland Hotelはゴチック建設の豪壮さで、1903年建設、ドイツ空襲では見逃してくれ、Central Libraryともども、見応えある名所になっている。Central Libraryの前庭には子供(?エメリン・パンクハーストの銅像もあるはずだが)の銅像がありOxford通りが始まる所に直ぐ明るい近代的ビルがみえる。

その前をクロスする通りに2両のライトレール(言わば市電)がはしる。

 

その辺りは広い歩道かなと思われたがそうではなくてSt.Peters SquareでありCentral Libraryの裏辺りはAlbert SquareにManchester City Councilがありまた、Midland Hotelの裏辺りにはManchester Central Convention Complexがあった。

 

街に多い中世の建物に合わせビルも4~5階建てである。早速ビルに沿って長いパラソルCafeの列である。右にまた古い建物で煙突が8本もある、左にもアーチ窓の特徴ある建物と言う具合に交互に新旧建物が続くが外に突き出た広告なぞはない。

その向こうに遠くに珍しい高層の、タワービル(Wakefield Building)が見える。
またクロスする道に2階建てバスが目の前を左折する。New Two Way System Aheadの標識がある。北向きのOne Wayになったようだ。

Oxford通りは2~3選抜クラスの一般道路でバスが目立つほどで割と閑散としている。歩道は6mクラスで車道との間に1mも自転車道がある。

歩道にはステンレス鋼管を半円に埋めたものが並んでいるが自転車を立て架けるものらしい。自転車は自立しないものかもしれない。いくつもあるがガラガラである。後ほど繁華街でも多く見かけるが、歩行者の凭れ チェアにもなっている。

 

右左に、ごっつい石とレンガの建物があり左手は古い建物にPhilpotts(Careringの会社)の標識がある。隣はSt James Buidingだろう。その隣にはPalace Theatre Manchesterだ。

そしてOxford Stationへの誘導路を入れての五差路に至りさらに豪壮なKimpton時計塔をみて、右手があのWakefield Buildingだ。その手前に頭上にまたぐ道路、これを過ぎるとまた高速道路をくぐることになる。

行くほどにRNCMのビルを右に見るほどに、交差の通りの右左に両方に7階建ての建物にThe Universitu of Manchester の表示がある。建物に大きく表示看板があるのは珍しい。

 

そのあと右に緑濃い公園のある所を目印に、左側200mも離れたところに黒いガラス張り近代ビルがあるはずだ。Manchester 大学のEngineering Building A棟である。

これは本物の写真

目印と言った公園は後でMapを見るとその公園の後ろはManchester Metropoletan University があった。

 

次に赤レンガの、入口のない様な建物(Kilburn)の、隣のまたも円柱形のビルがあるがこれはManchester 大学の管理棟ビルであろうか。いつから大学の敷地に入ったのであろうか。 

左手に有名なManchester Museumがあった。大学保有の施設である。

その横がネオゴチックの旧館本館である。


1824年創設の大学である。略称UoM、ノーベル賞25人を輩出している。インドネシアでも留学人気が高い。

アーチの玄関をくぐれば広い中庭である。教会や講堂など古い建物に囲まれて、どこまでも続く。

 

だいぶ離れた所にも空手クラブなど大学の施設があり、戻って玄関アーチの正面の通りの東側も新しいビル群があり本当に境界がない。

しかし目を移すと1㎞も離れた外側には碁盤のようなくっきりした住宅地が広がりそれは市域そのものを東西南からがっちり受け止め、抱き込むごとき境界がはっきりしていた。

そういえば今までアパートらしき人の住む家々は町には見掛けなかった。


つづく

Surya Permata のタカボネラテ はサリナンデに近い



今日(先週か)のNNAは、インドネシア観光開発公社(ITDC)が南スラウェシ州で観光経済特区を開発する方針であることを報じた。 

場所は日本の海洋ダイバーなら知る人は知るダイバースポットであるタカボネラテである。ここを南スラウェシ州政府と観光経済特区として開発を進めることで合意がなったということである。

タカボネラテと言えばBaloiya Beachの方で行く機会もあったが、ジャカルタからは遠すぎマカッサルからバスで100㎞、船で200㎞故、諦めが先に立った。

このITDCが主導するタカボネラテと同じところかどうか知らないがバリ島本拠の開発業者PT Surya Permata Andalan Tbk(NATO)も海上コテージのリゾートを展開している。

彼らの紹介文によると「南スラウェシ島セラヤール諸島のタカボネラテという名前は、その環礁は水中世界の楽園と呼ばれています。世界で3番目に優れたサンゴ礁があると言われている国立公園です。 サンゴの他に、観光客はビーチを歩き回るサメの赤ちゃんも見ることができます。また、周辺には26のダイビングスポットがあります」とある。

サメの赤ちゃんが歩けるのか知らないが 正しくはジュゴンと海亀とも一緒に泳ぐ事もできますではないか

このPT Surya Permata社はバリ島のスミニャックSarinande St.20に本社を置き2016年に商業運営を開始したが既にここタカボネラテ・リゾートを入れ6つの物件を所有している。

バリ島でLuna 2 Hotel

The Villa Seri、

Mangosteen Hotel

カリマンタンのMARATUA BEACH RESORT及び

NTT州ロテ島のSURFER PARADISE RESORTである。

別称Nusantara Propertyともいう。

代表はGede Putu Adnawa社長で、1987年バリのUdayana大卒、BaliのAnantara Resortで会計他管理業務に携わった経歴がある。

会社の通りの名前のSarinandeはオランダ時代の大流行りのマルクのメロディーだったと思うが歌ってるグレースシモンもいいおばさんになったと感慨深い。続いて歌う"Surabaya"もオランダ時代の方のSurabayaである。

SARINANDE' - SURABAYA - GRACE SIMON te AMSTELVEEN (youtube.com)

 

Sydney Harbour か Bay か

世界の街歩きで今度はシドニーに決めて、あるWalking 4Kを見ていたが約5時間もかかるもので、相当丁寧で説明もしてあり、補足のために出る幕はない。しかしシドニーの地形は特異な歴史があるようでRiasと言われる形状が100を数える岬、ビーチ、島々で、シドニ―湾一つとっても複雑で地名に現れる地形の英語名を勉強してみることにした。

 

そのシドニーの湾であるが Harbor(英Harbour)なのかBayなのか、Gulf、Portなのか、ハタマタその違いはと問うとわからない。日本語では地名につくのは湾か港くらいであるが湾は海上であり港は陸上の(施設をもつ)地名につけるのでこれを都市名につける場合は殆ど港でありBayになろう。あまり違いははっきりしたものではないがSydneyは Harbor なのである。

HarborもBayもGulfもハタマタCoveも自然の海域であるが錯綜はしているが特徴でいえばHarborは船が停泊するための安全な水域で港内にBayやCoveを一つや二つ以上持つものでCoveは入り江で小施設を有しBayは施設をもつが必須にしない。GulfはBayよりも大きく、より広範囲にわたる波や潮流を持つ海域を言う。

 

このSydney Walkingでも==>海を渡るSydney Harbour BridgeがありDarling HarbourがありWalsh Bayや Campbells Coveなどがある。

 

波止場(Wharf)、埠頭(Quay)、桟橋(Pier)、岸壁・船渠(Dock)(これはほんの示唆)の施設を持つ地名にはCircular QuayやBarangaroo Wharfを歩いている。

Sydney Harbourに流れ込む川はParramatta川である。Sydney airpotの方にはBotany Bayに流れ込む川など複数ありCreek小川、swamp沼沢、潟湖 Lagoonが見られる。

 

Parramatta川は上流30㎞程度でCreekとなり、さらに奥に湖がある。

20kmで堰Parramatta Weir堰がある。すぐ南にParramatta Wharfがありここまで例のOpera House 辺りのCircular Quayから船が運航している。

Circular Quayの辺りにSydney Harbour Bridgeがありその横に高速の海底トンネルも走っている。Google Mapはご丁寧に海上も船に乗りStreet Viewをやっている事でありトンネル内もStreet Viewをやっている事には驚いた。

それより驚くことは、人口が伸びている訳でもないのか開発・建設中の場所はなく、長い海岸線のどこまでもStreet Viewは続きクレーンや工場やタンク群を見ることもなかったことだ。

 

公共建物のスペースは公園化され必ず歴史銅像があり Hyde ParkとRoyal Botanic Gardenはそれぞれ16haと30haが隣接した巨大さである。

街の中心の海岸線はテント・パラソルのテラスにうずまりここではその一寸も無駄な空き地がないほどであった。

出来上がった文化都市であった。



 

 

 

(63) Sydney, Australia Walking Tour - 4K60fps with Captions - Prowalk Tours - YouTube

 

我がアパート ブミマス Tanuwidjaja

 

ファトマワティにブミマス アパートメント出来たのは1996年で、日本人の住宅がアパートに移って行った頃だったので一挙に日本人の人気のアパートになった。そのあとすぐスーパー・パパイヤがブロクエムを出てここに出店したのもこのころだ。人気度はあれから28年も過ぎようとしているので日本人のアパートと決めつけられず我がアパートとした。

 

場所はFatmawatiでなく中に入ってJl. Taragong Rayaでそのころ近所のKristal HotelもありよくBar Counterで瞬時を過ごしたものだ。

オーナーはDjadjang Tanuwidjajaと言う人で2024年現在も、PT Bumimas Megahprimalの取締役社長を務めている。71歳(1953生まれ)である。 彼は嘗て PT Kim Eng SecuritiesとPT Total Bangun Persada Tbk1で役職を歴任したが、また2010年、PT KESで株券を偽造したとして法的処置を食らっている。

同氏はPT Total Bangun Persada Tbkに相当の株式を保有していることが知られており、20241年2月28日現在、800万米ドル相当の株式を保有している。

Resourcesの国のDampac、 PANASIAも

 

J ResourcesのResourcesは資源の際たる金鉱山会社であったがResourcesで名を売ったBumi ResourcesもBakrieグループで健在だが、今はBumiよりBayan Resourcesの方が時価総額インドネシア2位で、オーナーのLow Tuck Kwongを富豪2位に押し上げていた。

 

中堅資源会社にCentral Omega Resourcesがある。株主はPT Danpac Resources Kalbarが60%保有する中国との合弁のニッケル関係の投資会社である。

 

Danpacはもともと医療・医薬品製造の会社でJohnny Wiraaatmadja(Yoevan Wiraatmaja?)とKiki Hamidjajaとが保有しているが、WiraaatmadjaはもともとバンカーでPanin Bankの会長で、67才ある。

 

Central Omega Resourcesは、1995年PT Duta Kirana Financeの名で設立された金融会社である。同社はその後紆余曲折6あり2008年にニッケル採掘権の保有者PT Mega Buana Resourcesを買収し鉱業会社に転換した。コナウェとモロワリのニッケル鉱山を通じて資金を得て2011年、政府の政策を見越してニッケル精錬所建設を計画した。

製錬所は2015年6月にようやく建設され、鉱石の輸出禁止に間に合い更に鉱山会社買収、精錬所拡張を続けている。

Kiki Hamidjajaは現在社長であるがPresiden KomisarisにLim Anthonyとあるのが気になるところであるがSalimとは関係なかろう。

 

Resourcesで驚いたのはBumiで上場コードBUMIでPT Bumi Resources Tbk (BUMI)、上場コードBRMSでPT Bumi Resources Minerals Tbk (BRMS) があることで後者は前者の子会社である。

また繊維部門でResourcesが付いたPT PANASIA INDO RESOURCES TBKがある。

ポリエステル ヤーンの紡績、撚り、機織、プリント、染色、仕上げなどを行う会社であったが2019年5月29日以降、上場取引を停止した。

オーナーはAWONG HIDJAJA氏で1952年生まれ、2009年には資産 $69百万で インドネシア 146位の富豪であった。

娘さんかAGNES NOVELLA HIDJAJAが監査役でMacquarie University, Sydney を卒業している。他、家族経営している、していた。

 

序にResoursesはMineralの他、石炭に多く(Atlas,Alasm, Black Diamond)、他にはパーム産業(First、Golden Agre)や紙パ産業(April Asia)の企業名につけられている。

Japan の J にキリ込む J Resources

 

日本の会社かと見まがう J Resourcesであるが、該社は正式には PT. J Resources Asia Pasifik Tbk と言う会社でインドネシアの後発・中堅金採鉱会社である。監査役会長のJimmy Budiartoにより起こされた、インドネシア第3位の金採鉱上場会社になっている。

J は Jimmyの J だろうか。J一つで日本代表 J:COMも、J Resourcesは - 今さら 日イのはてな (hatenablog.com)

 

現在の金鉱山は Penjom (Malaysia)とLanut (North Sulawesi)を保有している。低品位の金鉱床ながらヒープリーチシステムを運用・採掘し年間約20万オンスのゴールドを生産している。

彼の述解からの引用しよう。「私の父は石炭産業で非常に著名な人でしたが、私が父の会社を手伝い、関与し始めたのは1997年頃になってからでした。大学を卒業した2000年に、私はより深く関わるようになりました。父の会社は2008年は業界があまりうまくいっていなかったので、2009年に事業を売却する決断をし、父は不動産にもっと力を入れ始めました。それは彼にとって正しいことであり、私は新しい機会を探し始めることができました。その頃、友人から、鉱業の分野に進み、金鉱会社に投資することに興味があるかどうか尋ねられました。面白そうだと思い、イエスと答え、PT J Resourcesとなるものへの投資の旅を始めました。

出だしは運よく簡単のようだが彼は一から鉱物、冶金学、化学の専門を学び2013年に金が危機的状況に陥ったとき、同社の引き継いだ古い鉱山をブラウンフィールドプロジェクトに置き換え。またダイナミックヒープリーチングと呼ばれる独自の特許取得済みの内部処理イノベーションを使用して、最も厳しい時期を乗り越えることができたそうだ。

更に彼は“成功の秘訣は、最も低いキャッシュカーブに位置する金価格を生み出す能力であると信じています。情熱と継続的なイノベーションに裏打ちされ,安全面では、グローバルな慣行に従ってコンプライアンスを遵守し、勤勉に行っている企業と見なされています。”

ジミーの最終目標は、貴金属の採掘にとどまらず、バルク商品に進出することだそうだ。

豪州?拠点のグローバル経済誌CEO MAgazineの記事Gold digger: Jimmy Budiartoから引用した。

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彼はUniversitas Pelita Harapan (UPH)の1997年卒業である。JResourcesの92%を保有している。会社決算はコストが先行しているがこれからであろうか。株価は本年により上昇を見せた。時価総額は4兆ルピア、上位にMerdeka Copper Gold 、Archiがある。

本社はEquity Tower,48Floor, SCBDである。

新首都IKN後のDKJの扱い

 

首都特別地区の「DKI」がJKTの別名(冠)であったが、なくなった後のジャカルタの新しい地位に関する論議がある。DKI JakartaDaerah Khusus Ibukota Jakarta)を単にジャカルタ特別地域(Daerah Khusus Jakarta(DKJ))とすることになったようだが、これだとDaerah Istimewa YogyakartaDIY)と同じで特別州としての名前でありDIYの州都はKota Yogyakartaとなる。その伝でいくとDKIの州都はJakarta Pusat市か?とか言われそうだ。

 

次に、特別の意味は経済などの中心地(ビジネス中心都市)としてであり、それならばJakartaだけでなくJaBoDeTaBekの概念が沸いてくる。この際、どこまで入れるかでチアンジュールまでいれたJaBoDeTaBekJurもある。

 

これを一歩進めてJakarta に合体すると、州をまたぐ、大きな、重大な問題となる。行政的合体でなく集積都市として発展させる構想は、集積地域評議会とか特別機関によって指揮されることが考えられる。

そのような概念を現在の行政に例をとるとPapuaがある。Papuaは現在5つ?の州にまたがるがこれを公平な開発にするためにはパプア開発加速運営委員会がありその長はパプアの場合は国家領域のレベルの問題であり副大統領が任じられたが、それでもその権限は開発政策の調和、同期、評価を任務としている。

 

このジャカルタのDewan Aglomerasishh集積評議会の長と 並行してDKJの首長を直接選挙から大統領任命にする考えもある。

 

今度はインドネシアの経済を握る魅力あるポジションであり、政権の思惑次第ではどのような形も可能であろうしジョコウィの頭の中でいろいろ渦巻まいていたのだろう。

ジョコウィだけでなく他の党からも、例えばPKSはDKIジャカルタを立法国家の首都に、IKNヌサンタラを行政国家の首都にすることを提案している。

アニスも再出馬の観測もあるようだ。

綺麗ごとにするためブタウイが使われることがある。

もすぐ決まることだ。