今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

中世ヨーロッパ建築のサンプル マンチェスター

 

後先が逆になったがマンチェスターを歩く前にマンチェスターを知らねばならない。

産業革命の都市で暗くてレンガ造りの町のイメージが先に来るが大量生産の時代が過ぎて行ったのはついこの間に過ぎなく産業革命謳歌したマンチェスターは急転、汚れ煤けた寂れた街になったがそれが今や復興し今やイギリスNO. 2の都市と評価される。人口で言えば1931年 ピークで75万人であったものが英国病と言われ日本もいづれと警戒された1980年43万人に落ち、都市規模も6位になっていた、

 

 

マンチェスター市域では115km2で人口55万人もあるが最小中心部は目測6km2で人口は2万人弱だと思われ、この中心部は高速で囲まれこれを内環とすると外環が2重に巻いている。

 

中心部の要になる中央駅は東に位置するピカデリ―駅というがサーカスとは関係ない。

ここは2000年に1億ポンドの大規模改修が行われたターミナル駅である。イギリス西海岸の大都市たるリバプールには、ピカデリーを出発して南にジャカルタ・コタ駅の補完するマンガライ駅に相当するような駅を通っていくようだ。

 

それよりすぐ北辺りに運河が掘られて西に下ると大きな港湾設備までその備えた波止場The Quayがある。ここから綿織物が積まれリバプールから輸出されていたのであろう。

運河から見える鉄橋は、世界初の線路で、マンチェスターリバプールを繋いでいた。

(後述Victoria線か)

今地図を見ると先に上げた中心部分から数㎞離れた部分は、運河に沿って約4㎞の工業地帯を形成している。どちらも地区名が見当たらないが推定するとCener of City(City Center)とOld Traffordと言おう。

 

先日のブログのマンチェスター大学はこの内環道路の外になるが、ホンの1㎞弱外になる。ジャカルタで言えば内環状スマンギより1㎞強のアルアズハール大学の距離感である。

 

出発地のMidland Hotelからは全行程1時間の2㎞程度であったが、同じquarter内に1877年建築のネオゴチック建築市庁舎Manchester City Councilがあったが今大改修のまっただ中だ。白く全体を覆っている。

Manchester City Counsel

またHotelから北に足を延ばせば数ブロック程度でDeansgate St.にJohn Rylands Research Institute and Libraryがあるがこれもマチェスター大学所有のもので1890年のネオゴチック建築である。



Deansgate St.を北に延ばせばCity Centerの北詰まりのVictoria 地区にはまず大伽藍のManchester Cathedralがある。これは13th-century originsのゴシック建築である。

 

その先には1653年から公共に供されているChetham's Libraryのゴシック建築で、

 

同じ地区にCorn Exchage Buildingがある。1837年建築のバロック建築である。

 

これまで記述したもので古き良き建築で見るべきものを総ざらいした。

 

しかしこのVictoria地区にはそうした古い建物の他近郊向けの鉄道駅周りはイベント用AOアリーナとかNational Football Museumがある。そして、今来たDeansgate St.をもどって又John Rylands Libraryから同じだけ南に下るとCity Centerの西つまりDeansgate Squareに至りここに本当の高層ビル群があったのである。 

見事な歴史の混合を見る思いだ。

以上がGreater Manchester (グレーター・マンチェスターは、面積1,277 km2で人口は約281万人)の概観である。 Walking 4Kを見るよりGoogle Mapに頼り切った1日であった。

前編での建築物の内ゴシック建築

 

続く