今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Season's Greeting 明けまして御目出とう御座います。

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令和2年元旦
          旧年中は大変お世話になりました。
旧年の令和元年は、いくつもある似た元号の中で(全体で21、江戸時代4ケ)、令和の世代に期待したくなるのが丁度400年前の元和(げんな)である。河村瑞賢の時代(元和4年生まれ)で彼は奥羽地方の米を江戸や大阪に輸送する航路を始めて、富を為したが、淀川などの治水事業にも貢献した。そして関東では元和7年(1621年)伊奈忠治指揮で利根川東遷事業が始まった。この事業は父忠次以下3代4人の伊奈家が完成させた。その後も拡張、浚渫など現代に継続された事業である。そしてその中に利根川から関宿における江戸川分流、取手運河なども続き、江戸の大物流が可能になっていた。例えば奥州の物資は黒潮とぶつかる犬吠崎を避け銚子で陸揚げされ利根川遡上し江戸川から江戸へ、或いは行徳のは江戸川から中川を超えて新川運河を経由し、更に荒川を超え小名木川へ、そして隅田川を越えて日本橋浜町のたどり着く海運の開拓も行なわれた。
利根川常陸川につなぐ赤堀川は幅23メートル、深さ10メートルの7㎞の運河で、3回の逆流や大水害の失敗を乗り越えた末の合流である。
二宮尊徳様も利根川利水の提案も行なったが、救民や財政改革とかの経世が中心であったように治水よりも利水、或いは上流・下流、対岸との調整の行政も重要であった。その地図を見て成程、東京の洪水対策は江戸初期からやって来たのだなと先人の苦労に頭が下がる年末であった。自宅付近はこの江戸川があり、大正時代に放水路が引かれたが、この放水路を江戸川と言い元の江戸川は旧江戸川と言い猫実に抜ける。
それ以来、この地区の大洪水は無くなった。 
本年もよろしくお願い致します。