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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ロシアの韃靼人の末裔

 

 

ロシアの歴史をなんとなく眺めていた時に「タタールの軛くびき」と言う言葉に出会った

タルタール・ソースのタタールと親族語のようだがタタールとは「韃靼人の踊り」の韃靼でもある。そうは言っても、分ったようで分からないのは、モンゴールの大地で、歴史上いつ頃、あらわれた民族か、習った記憶がないからである。 

私にとっては幻の民族なのである。

いつぞや韃靼疾風録という司馬遼太郎の小説を読んだ事があったが、それは日本の平戸に漂浪して来た韃靼公主(姫)を韃靼国に送り届けたある藩士数奇な愛と韃靼国のため行動する勇躍物語であったが、確かに清国(女真族)勃興期、沿海州アムール川を遡った先にある国(満洲)であった。

ただこれには史実はなく、中国では韃靼とは、実際に征服されたモンゴール帝国以外の民族、例えば東突厥地のチュルク族などと思うが、それら民族を呼称するのに使った経緯があり、またロシアで言うときは、これら民族も、モンゴールに征服され、その一部族として征西軍になりロシアに現れるのである。

そしてその末裔は20世紀まで認識されていたが、日本でも来日ロシア・タタール人が最初のモスク(ジャーミー)を立てたとかある。

そのロシア・タタールはヴォルガ・タタールなど500万人を数え、クリミヤ・タタールとかシベリア・タタールとかいくつかの部族があった。ロシアは古くはフン族の民族大移動とか、西匈奴やテュルク系の遊牧民接触しており侵略されてきた歴史があるのだ。 ちなみに、カザフ人・コザック人もチュルク族である。

1237年、ジンギスカン(1227年没)の長男 ジョチの次男バトゥを司令官とする遠征軍はルーシ侵攻を敢行して、さらに遠くポーランドハンガリーまで席捲した。

ロシアはポーランド王国神聖ローマ帝国ドイツ騎士団などと連合軍を編成してワールシュタットで戦ったが惨敗、これはこの後長く語り継がれていく恐怖の話である。 そしてヴォルガ川下流に建国したジョチ・ウルス支配下に入り、約200年前後にわたって続くことになる、このモンゴル=タタールによる支配のことを「タタールの軛(くびき)」と呼ぶのである。

ロシアは、16世紀頃までに納税をやめ、あるいは独立を果たし、「タタールの軛」を脱したが、タタールの中には、キリスト教を受け入れて同化が進んだこともある。

20世紀になり、ソビエト連邦ではヴォルガ・タタール人タタール自治共和国を持つことができたりしたが自治州と格下げされたり最後はタタールの名称も消えているようだ。 

 

名前は消えてもDNAは消えないといわれる。はたまた、

今のロシアで少数民族は守られているだろうか