2023-08-26 中央アジア・ハイウェー・西遊記・シルクロード総集編 #サマルカンド# 中央アジアの6ケ国を訪ねてアジア・ハイウエーを飛ばして見たが玄奘三蔵の西行きの道と少し違うようであった。砂漠とステップと険峻では面白くないので今一度、シルクロードでおさらいしつつ見るべきものを見てみよう。 アジアハイウエー5号線を西安(長安)を出発し敦煌を過ぎ片仮名ながらハミ、トルファン、ウルムチの新疆自治区の中国を離れ、カザフスタンに入ると直ぐにアルマトイ、そこから100㎞程度でキリギスタンの首都ビシュケクとなる。このルートはおおむね天山北路となる。 これに対してトルファンからコルラ、クチャ、アクス、とカシュガルに向かう道は天山南路という。玄奘は鳩摩羅什の故郷のクチャまで来て、南路から天山を超え北路に行っている。 天山南路はまた西域北道とも言うし、タクラマカン砂漠の南の西域南道(カシュガルー敦煌)と対をなす。 ここでアジアハイウエーについて一言留意すべきは、例えば1号線は東京始発で対馬海峡を渡り朝鮮半島から北京に向かうとか、5号線はカスピ海を渡ってバクーにわたるとか、タクラマカン砂漠も一直線の、現実を無視した線引きである。西遊記やシルクロードではそうはいかず特に新疆区はいくつものルートがある。 アルマトイはかっての首都で人口150万の地下鉄のある近代都市、ビシュケクは人口100万,旧名フルンゼ、付け加えることはない。どちらも日本には姉妹都市はない。今の内だ。 次のタシュケントはウズベキスタンの首都で人口200万人はレニングラードに次ぐ大都市で、シルクロードの交易都市である、ソ連に強制労働させられ死亡した日本人抑留者の鎮魂碑がある。名古屋の姉妹都市。 地理的にウズベキにキルギス・タジキスタンを巻き込む形になっており、タジキスタンにもホンの50㎞と近い。従いアジアハイウエーはタジキスタンによらず次の300㎞先のサマルカンドにむかう。 シルクロードの青の宝石、サマルカンドはシルクロードのオアシス都市であり、14世紀後半にはティムール帝国が建設した首都である。 8世紀頃からイスラム化が進み町の景観はイスラム色と見まがうがこれはチムールの好んだ青色のタイルのせいだ。男性も女性もあの黒のムスリム衣装をぬぎすてている。そしてゆったり平和に暮らしている。日本人も友達になれそうだ。 ティムールはチャガタイ・ハン国の軍事参謀でこれを受けて建国(1370年)、西アジアから中央アジアを征服した巨大国である。 見どころは3つのマドラサが建っているレギスタン広場やティムール及びその家族の霊廟グーリ・アミール廟など、青の建物である。奈良市が姉妹都市で提携している。 この後、ハイウエーは北に向かい古都ブハラがある。タシケントからサマルカンド ーブハラまで600㎞を高速列車が走る。 ブハラの旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。さらに北に城壁都市とか博物館都市とか言われる ヒヴァがありここも世界遺産である。 ここからロシアはますます近くカスピ海をまわってタタール人のモスクワ鉄槌の道となる。 アジアハイウエーの方はトルクメニスタンのアシガバートからトルコのブルガリア国境の町まで行くが、トルクは鎖国中と聞くし、小生は今日、特に関心を引くものはない。