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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Gereja Ayam(雄鶏の教会)はジャカルタが本家

Gereja Ayam

Pasar Baruの近くにGereja Ayam(鶏の教会 チキン チャーチ)があるが検索してもなかなか出てこない。というのもGereja Ayamという教会はマゲランにできた方がゲテモノ風で有名になったからである。

そちらのGereja Ayamは、実際、建物が巨大な鶏の形をしており、1990年代にビジネスマン、ダニエル・アラムシャが、すべての国のための祈りの家を建てるためにレマ山で一日中祈ったときに得た啓示で始められたということである。ㇾマ山は観光地区である。



このPasar Baruの方は、Samanhudi大通りのPasar Baruの入口門の傍にあるが、Google Mapでは、拡大しないと表示されない。

教会の屋根の頂に風見鶏があり或いは車輪窓(Rosette)の真ん中が鶏の図柄からAYAMといわれるようだ。

ピンク・オレンジ色が青空に映えて一瞬目を見張る建築である。オランダの有名な設計事務所Cuypers and Hulswit 設計事務所のHulswitが設計したネオ・ロマネスク調のデザインである。

「Gereja Ayamのネオ・ロマネスク」として2008年5月31日にブログしていた。 

 

いまはGPIB Pniel Jakartaという正式な名前でwikiが検索できる。

 

Ayamというのは、最後の晩餐の場で、イエス使徒の一人がイエスを裏切ることを告げまた、使徒達が自分の苦難に際して逃げ散る事を予告する。ペトロは鶏が鳴く前に三度キリストを否むと告げられ、これを強く否定する。と言う聖書の話に基づくようだ。

教会の歴史については、建設当時の社会的背景があり、ウィレムスケルク(現在はイマヌエル教会)は下層階級、つまりブミプトラ、中国人、インド人に門戸を開いていなかったようで、そのため1856年にパサールバルの隅に小さな礼拝堂が作られ、その名前、Haantjeskerkは鶏の教会を意味した時にはじまっている。大きなオランダ語の聖書が教会の説教壇に置かれている。その後、オランダ領東インド政府は、建築家事務所Cuypers en Hulswit に拡張新築を命じ1915年に完成した。