この10月、Pontjo Sutowoが所有していた、ザ・スルタン・ホテルの経営を政府に戻す50年来の争いも終止符を打たれたようである。
スルタン・ホテルは元Hilton Hotelとしてジャカルタのトップホテルを維持してきたが、裏ではにいろんな話が続いていたのである。
端緒は、アジア太平洋地域の観光会議を開催するため当時の、DKIジャカルタの知事であるアリ・サディキンが建設に関する手紙をプルタミナに提出した時である。 3,000人も収容できる国際的大ホテルを建設できるのは、国営の石油会社プルタミナ以外に考えられなかったのである。
これはプルタミナの社長、イブヌ・ストウォ(1968-1978)によって承認され、そして1973年、ストウォはPT Indobuild Co.の旗の下にSenayanエリアにホテルを完工したのである。
当初、Ali Sadikinと他の皆はPT Indobuild CoがPertaminaに属していると信じていたが、ホテルが設立されたとき、アリはPT Indobuild Coがプルタミナの子会社ではなく、個人所有であることを知り、ここからホテルの所有をめぐる論争が始まった。
スハルトの時代は、ニュー・オーダー政府は、PT Indobuild Coがホテルを管理することを許可し、実際、同社は30年間の建物使用権を付与されていたのである。
2003年に期限の来たHGBは、法廷闘争の戦いのゴングとなった後も、ずるずると延長され、その間ヒルトン・インターナショナルのチェーン契約が2006年に満了した後は、スルタン・ホテルに改装されストウォ家によって管理された。 2023年3月にかけて再度建物の使用権(HGB)が失効したためスルタンホテルの明け渡さざるを得なかったことになる。
スルタンホテルの現在は正式に国に引き継がれているようだ。 政府のこのやりかたは新首都開発における外資優遇に比べて間違っているとユスフカラ元副大統領の嘆息も聞かれる。
ただホテルの運営自体は未だ続けられていることは従業員たちには救いとなっている。
レストラン日本館については不確かである。
泊まったことはないが50回以上、何やかやでお世話になったヒルトン。