今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

チリンチンのカントリーハウスの怪

landhuis in Cilincing

チリンチンのオランダ時代の賑わいと共に、思い起こさせるのはカントリーハウスである。ここには二つあったそうで、そのひとつLandhuis Cilincingといわれる方は、現代になっては、引退した警察官が居住していたので、Rumah Veteran(退役軍人ホーム)としても知られ、2つ目は、1750年にジャワの元北海岸知事ニコラス・ハーティングによって建てられたLandhuis Verdesteinと言われる別荘で現在では既に無くなっているとの文献があった。

Landhuis Cilincingの建設は1740年にJustinus Vinckによるもので、街から遠く離れた地域で安全を確保するために、サイドハウスにしっかりと囲まれた中庭を備えた建物で、この家の近くで、1811年イギリスの将軍S.オーフムーティ卿が約10,000人の軍隊を上陸させオランダを攻撃してラッフルズの時代となった歴史があり、その重要性からも保護記念建造物として登録されている。そのような説明の最後は、あまりにも多くの住民(退役軍人)などが住んでいるため、維持管理が不十分だと記されている。

 

Justinus Vinckは、ヴェルテヴレーデンに土地を所有していた地主で、1735年、現在のPasar SenenとPasar Tanah Abangパサールタナアバンを開設し、又両市場を結ぶ街道も建設し途中のカンポンリマ、プラパタン橋も建設したほか、1744年から1747年にトゥグ教会を建設している。

Landhuis Verdestein in Cilincing dekat polsek

そこでまた二つあると言うLanadhuisの場所の確認に入ったのであるが、二つ目と言われるVerdesteinはGoogleでも直ぐ出て来て、あのマルンダ工業団地へ渡る橋の言わば袂で、海岸からの近く近くに警察署(Polsek)がある処である。

所が一つ目のVinckが建設したと言う方は1日がかりで、或いは地図をしらみつぶしに見ても分からない。Landhuis Cilincingと言うのは固有名詞ではないのではないかとよぎるが問題は誰かがアップした現存する立派な写真である。これは出所をクリックすると毎回接続が切れるタチの悪い代物と判断するしかない。

Bekas Rumah Tuan Tanah di Cilinciing

さらにYoutubeでもCilincingで探すとBekas Rumah Tuan Tanah di Cilincingという映像で住人のNananさんが優しく案内してくれるものがあるが、隣の家々が軒を接し外観は撮れず内部は多くの小割でびっしり詰まっているものがあるだけで、これは多分Rumah Vredesteinに違いない。

 

Rumah Vredestein = Landhuis Cilincing

最後は昔愛読したHeukenの書籍に向かうと、XI章のCountry HouseにはCilincingはなく、X章のTuguの章に記載があったが流石はVinckが建設したHouseである。そして、その説明はTuguからMarundaに向かい、Kali Cakungの橋の前で警察署から数メートルと記載があり且つVredesteinLandheus Cilincingと同じとも記載あり、これでやっと決定としたのである。

二つあるとの文献に振り回された1日であった。

1750年にハーティングが建設したとあるが、Vinckの後に所有したのであろう。

そしてこの問題の写真はなんだろう

どこに現存しているのだろうか

 

 追記:3/23 今日、YouTubeで下の写真を見かけた。ご丁寧に、二つ目と記載あり、そうするとこちらは元の姿も現存の姿も位置情報も文献もあり確認できることになる。  従い又振り出しに戻ってしまった。

追記:

住所は一つ、名前はいくつもあり、写真もいくつもある。 しかし270年の風雪を追えていないと言えば言えないことはない。