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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

夫唱婦随のCiputra不動産開発

 

Ciputra 翁が逝った後グループは長女のRina が引き継いだようだが、これには夫のBudiarsa Sastrawinataの力があると思える。1955年生まれの彼とRinaは学友である。

彼は英国プリマスプリマス工科大学を卒業し、ジャカルタのPrasetiya Mulya経営大学院で土木工学の学士号とMBAを取得している。学友と言うのは此処でなく、ジャカルタRegina Pacisで幼稚園から高校までの初等教育コースであり、ここでIr.Ciputraの目にも止まったのであろう。Rinaも、Claremont, Los AngelesでMBAを取得している。

1981年、Budiarsaはインドネシアに戻り、不動産業界で働き始めた。同年、Ir.CiputraはCitra Habitat Indonesia (Ciputra Developmentの前身)という会社を設立し、同じく帰国したRinaはカリデレスにあるCitra Garden Cityの最初のプロジェクトに取り組み、リナが社長として直接担当した。BudiarsaはIr.Ciputraについていきビンタロ・ジャヤ、そしてシトラガーデン・シティの土地探しから始まり、

ゼロからスタートし多くを学んだ。Bumi Serpong Damai(BSD)の前身の会社で働き、Ciputraの家族(義理の息子)の唯一のメンバーとなった。

 

Budiarsaは都市規模の開発と多目的開発に焦点を当ててPT Ciputra Residenceでインスピレーションスプレッダーとしてリードしまた、CitraRaya Tangerang, CitraGrand City Palembang、 CitraRaya City Jambi 及びHanoi (Vietnam), Phnom Penh (Kamboja), 瀋陽(中国)の新都市プロジェクトの総開発面積は6,200ヘクタールにのぼる。

 

現在、PT Damai Indah Golf TbkとPT Ciputra Residenceの取締役社長も務めて、インドネシア商工会議所(KADIN)、インドネシア不動産ブローカー協会(AREBI)、インドネシア発行体協).また、国際都市開発業者協会(INTA)の名誉会長も務めている。

KADINの役員はPokjaとKepala Badangの2ポジションである。