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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

田園都市・田園調布でホッと

2018年4月30日のブログ“TODは日本がお手のもの”で、田園都市線の住宅地開発をあげたことがあったが、

f:id:nishimikyohei:20190918092038j:plainその時は何となく“田園調布に家が建つ”を思い出していた。ところで長くジャカルタで日本を留守にしていたため、東京では住んだところが千葉だけだから特に東京の西部は全く土地勘がなく不安であった。不安は的中し田園調布は田園都市線には無くそれは東急東横線であった。そして田園調布という地区名の他に田園都市と言うそのものの地区名称もあることが判ったが、それは東急グループの歴史の底流に連続していることを確認し一安心はした。法人には親子関係など血族的に明確ではないこともある。混乱するので早めに要点を比較すると

名称   オープン年  総面積   発案者  推進会社の順でを書くと  
田園調布町:1918~1927 : 80万平米 :渋沢栄一  :田園都市株式会社 :東京大田区
東急田園都市:1953~1966.1984.2006..:5,000ha: 五島慶太:東急株式会社:川崎、横浜、町田、大和の4市にまたがる城西南地区

東急のサイトには両者の関係について以下の様な記述がある。
「東急多摩田園都市開発事業は、田園調布・洗足などの高級住宅地開発のノウハウを引き継ぎ、1953年に故五島慶太会長が…「城西南地区開発趣意書」を発表したことが起点となっています。東急多摩田園都市は、…都心から15~35kmの位置にあり、…、民間主体の街づくりとしては、国内最大規模を誇っています。」インドネシアと互角の街づくりの大きさ(5,000ha)が一つはあることを知ったが、これは負けてもやむを得ないものがある。
f:id:nishimikyohei:20190918092202j:plain田園調布は面積は80haに過ぎない。それは未だ都区内であり高いルールを順守する高級住宅地である。しかし最近では世相と年波には勝てぬ部分もあるようだ。東急田園都市は郊外型で溝ノ口から中央林間まで、その間には宮前平、たまプラーザ、青葉台長津田、南町田など18 + 2の途中駅をもつ。今回は東急だけになったが、以上、自分等地方出身者や海外浦島人の為に、少しだけ整理してみただけである。