今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Viva Cita Tex‼

12月9日のマイブログで、2017年度発表BCIアジア選出のインドネシアデベロッパー・ランキングの中のPermata Birama Saktiを紹介したが、他に聞いた風な名前で自信がないのがChitaland Perkasa PTである。
開発物件を見ると、BCIの紹介では、Menara Standard Chartered、Menara Bank Danamon、PHE Tower、Chitaland Towerがあるが、古かったり、新し過ぎたりで、余り現在の関係が解らない。

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RDTX Place google
<グループのサイトがあったのでそこから代表経営者を見て見ると、監査役会長はSutiady Widjaja (1949年生まれ)、 社長はTurniady Widjaja(1956年)、そして他の役員にもHendry J. Widjaja、 Anthonny Widjajaと同じWidjaja家の次世代であろう人物名がある。米国Bentley大や New York大卒である。 会長は繊維畑であるが1980年会社を設立し、この会社は2002年に上場(コードはRDTX)している。ここ迄書いて、何のことはない。この会社はRoda Vivatex だと言うことが解った。
80年~90年代か、インドネシアの繊維業界が勢いがあった当時、この会社も日系繊維会社の強い競争相手であったのである。今のIDNFの紹介でもポリエステルフィラメント織物を製造する繊維製造会社に従事していると記載あるが、業界では30位となっているものの、IDNFが示す業界とは不動産である。不思議に思い先に進むことにすると、こちらの役員陣は、何故か別のWidjajaで会長がHerrijanto Widjaja(1954)、社長はWiriady Widjaja(1952年)、他に、Karta Widjaja(1957)がいる。 長繊維織物の輸出は政府のノン・オイル輸出振興政策で、該社は繊維業界のプリマドンナとなり更に90年の上場資金で1994年子会社PT Chitatex Peniで最新鋭の工場(Karawang-Ciiteureup)の設備投資も行なっているが、忍び寄る繊維産業の斜陽化で2002年頃から不動産部門にダイバーシファイすることを明確にした。同年ダナモンビルを取得、2007年にはスタチャンビルを取得している。  ダナモンと言えばスハルト末期にかけて急伸著しい華人銀行であったが、この彼らの本社ビルを最後に身売りしていった先がこのグループであったの>だ。 Stachanと言えば伊藤忠が第2スカイラインで建築したものがあったが、確かにここはStachanが入っていたがANZだったり、BSD等があり、Stachanは新ビルで移って行ったはず。別途調査しよう。これら取得は子会社(Chitaland とか)を通じて行っていたが2012年Simatupang通りのMenara PHEを完工、 2014年にはメインの繊維工場(Citeureup)を閉鎖し、工場は賃貸すること、会社自体は投資会社としての親会社として存続することとなった。
2017年 子会社PT Chitaland Perkasaを通じオフイスビルRDTX Place(Dr. Satrio通り) の建設を始め2020年には完成しているはずである。冒頭の物件ではMenara DanamonがRDTX Towerとなり、Chitland Tower がRDTX Placeとなったが、Stachan Towerはその先のStrategy の後ろにもある。
RDTX PlaceをGoogleで確認するとちゃんと出来ている。遠くに見えるのはCiputra World 2(Ascott Sudirman)だろうか、ここはCiputra World(1)(Raffles HotelやDBS Tower)との間である。この辺りは見違えるように変わりつつある。Sutiady Widjaja兄弟(?)など一族が多そうだがPT.Geno xxで財産の所有を確認し結束しているのであろう。 
年末も正月も無きブログかな