今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

Laan Trivelli のレストラン

先日のTanah Abang の通りの、昔の通り名にTrivelliと言う通りがあった話はしたが、実はここに、日本がインドネシアを占領した時の、先人オランダ人を抑留する施設(あとCampと言おう)があったと言うので2012年に訪ねたことがある。

 

あの頃、ある、抑留され死ぬほどの辛酸をなめたオランダ婦人が著した本(グラーフ女史の記録で梨の木舎出版)を読んだ事があったからで、その場所はCideng運河とBanjir運河の間にあり、おもての通りが当時の名前でLaan Trivelliと言う所(現 Tanah Abang II)だったようだ。

そこは1万人もの女性子供が収容されたが、詰め込まれた上、水の配給がコップ一杯程度だった、その困窮ぶりは読み返すこともできない。

 

行った時にはそこはレストランがあった模様で既に移転したばかりであった。移転先を追った記録はブログにしたが、その店は独立インドネシアの為の国際料理店としての文化と安寧を祈る店で一人で行くような人品にはもったいないと言えた。

チデン抑留所とオランダ・レストランTrivelli: ジャカルタ新旧あれこれ (cocolog-nifty.com) http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/trivelli-838c.html

 

そして今日グーグルで再訪をトライしたがgoogleはまた、別の場所となっており、どうも閉鎖されたようであった。

或る日本人のspis-mixさんが、そこを訪問して、詳しく生業などを記しているのでそれを参照願いたい。

sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/eriko-spis-mix/

https://ameblo.jp/eriko-spis-mix/entry-12711125371.html?frm=theme

 

お店の名前はHuize Trivelli Family Heritage Resto & Patisserie

最初の住所Jalan Tanah Abang II-108

最初の移転先Jalan Persatuan Guru No.7

最後の店Jln. Ciujung No. 36



皆、このCideng/Tanah Abang の地区である。最初の住所はオランダ人の住居を引き継いで開店したようだが、その開店は独立後のスカルノ時代(60年前後?)である。この場所はCamp Blok III であったようだが、其処が其処だと言う自信はない。しかし店は多くの人の救援の声で移転し、多くの人に惜しまれていった歴史のようである。



最初の移転ビラが貼ってあった時(2012年)の店の写真はこの通りであるが、今日のGoogle Mapはいまだこの通りで、手が付けられてない。

今は無き御主人はオランダ植民地時代に育ち、師範学校の教師やオランダ留学の生活の中から得た知識と多くのレシピを得てレストランを開いたものだった。時代を髣髴とする文物でミュージアムも兼ねているようだ。

あぁ 無常