今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

聞け、ルビニ博士の声、日本軍ポンチアナック事件

Tragedi Mandor Berdarah

今年のインドネシア国家英雄叙勲の5人の英雄の内お二人はブログで少し解説を試みたが、その英雄報道の中に日本軍により殺害されたという言葉があり、、ポンティアナク事件かなと疑問を付って、あと筆が鈍ったが、現代の若い世代で知らずにインドネシアの空気をすってはいけないと真偽を確かめた。この事件については産経新聞 元ジャカルタ支局長であらせられた加藤裕氏の著述「大東亜戦争インドネシア」の中の第一章「カリマンタン2万人虐殺の謎」にくわしいが、加藤氏の調査では、オランダ側の回答を含め多くが1,000人から1,486人であるが、インドネシア側は1977年州の手で現地に2万37人のマンドール慰霊碑が建立されており、インドネシア政府に再検証をお願いしたいと結んでおられるのである。

今日WikipediaPeristiwa Mandor を検索すると、その差があることには触れているが、やはり現実に建立された慰霊碑が示す人数は生きている。

亡くなった人或いは戦後処刑された日本軍人の御霊には衷心より哀悼を捧げ、今後我々は二度と戦争を起こさぬよう毎日毎日の行動を反省することが重要である。

当時の日本軍は終戦時全ての書類関係は焼却されているので客観的証拠はないが、推定するに、以下の様に考える事が出来るかも知れない。

餓島退却時代から当地では連合国側からの多くのデマが流されたそうで、日本軍からも逆手に取るように、当時の日本語の新聞などを通じてもデマを流したり、見せしめ、行き過ぎた処罰を行うなど、お互いがエスカレートするのは露ウ戦争を見れば推定できる。現地側は進駐日本軍殲滅から、分国してでも独立する夢とか、片や日本軍は、資源確保から領土化まで、心の中の野心が膨らみ、夢と現実が混とんとしたのではないか 但し1、486名にしろ、虐殺と言える事実は動かせないが、一方戦後現地オランダ含め裁判で日本軍根拠地司令官(中将)以下の銃殺刑は済んでいる。いかにも2万人は信じがたき多さで犠牲者氏名でも明らかだろうかと調べる気も起ったが、有る様にも思えず、ひょうとして或いは山中含め部族の過去の墓地などの整理が行われたた結果の頭数あわせがあったにやと思うとあり得る数字になろうか。この事件の描写は何の主張もなく、あらまほしの仮想であるので各人はそれぞれ文献やネットで学んで欲しい。先を急ぐ小生は、お互い様々の事実は事実である。 歴史から消したい気持ちは抑えがたいが、それは軍備を完全にすてた信頼できる日本になってから間違い部分があれば修正を願う事が出来るだけである。

しかし日本ではウ軍の果敢さにつられたのか、防衛予算増額に走っているが、こうした歴史の根幹に流れる教えは忘れている。何故今か、敵対者は誰で、誰に立ち向かわせるのか。

きけ わだつみの声を忘れるな、靖国の英霊も泣いているぞ。

 

Wikipediaには、多分独立を夢見た組織的日本軍殲滅の動きがあったとして日本軍は、州のリーダー、スルタンや王侯族など、学者、知識人を銃殺したようで19年6月28日の48人の氏名は、きっちりと挙げられており、なんと今年英雄となったDr. ルビニの名前が8番目にあり、又なんとルビニ氏の奥様の名前も37番目にあったのである。

今更ながらRiPを祈るものである。