Pecenonganの成り立ちのブログでAlwi Syahab先生のEssayを思い出したとして又蘊蓄をお借りしたが、先生の名前は本当にひさし振りで、今更ながらWikipediaに尋ねるとなんと2020年9月にpneumoniaで、お亡くなりになっていた。小生もコロナでインドネシア行きは言わずもがな、外出も控えていた時代で、小生のブログも“ジャカルタ新旧”の歴史風から“日イのはてな”の現代ものか変更したためか、永くご無沙汰したものである。
先生の御恩を謝し、又衷心よりお悔やみ申し上げたい。因みに偶々2015年迄のブログで先生のessayブログ“Djakarta Tempoe Doeloe”をリファーした回数は15回もある。その一つに2007年の「ジャカルタ歴史博物館の正義の剣」である。
ジャカルタ歴史博物館の正義の剣: ジャカルタ新旧あれこれ (cocolog-nifty.com)
https://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_22a...
この剣が振るわれた人には、有名なSpecx総督が商人で日本にいた頃日本女性と生ませた少女と彼女と火遊びした若いオランダの少年がいる。他にPieter Everbeld の処刑や、Nyai Dasimaに関わる男などが居り、ジャカルタに住む日本人には必見の剣である。しかしこの剣はその後ここ歴史博物館の2階の壁からどこかに移されたような気がするが確かめようがない。
Alwi先生は1936年ジャカルタ生まれで 長くAntara通信社やRepublika社に努めたジャーナリストで多くの著作もあり、未だ日本語翻訳がなされてないなら良い素材になりそうだ。
小生は又ちょくちょくお邪魔することにしよう。
注:前回の写真は2006年、今回は2009年である。