2022-12-26 Bank Indoneisaの源流物語 ジャカルタ新旧あれこれ Bank Indonesia Batavia 2006 インドネシアの中央銀行Bank Indonesiaは何度もブログしているが2008年頃だったか、その頃「薄汚れて長く気が付かなかったコタの旧インドネシア銀行本社が改装を行い博物館としてお目見えしそうである。」として私の文献に記録していた。 Bank Indonesiaの欧風ネオクラシック建築美を誇る建物は蘭印政庁の銀行であったDe Javasche Bank (DJB)で、その場所は “Binnen Hospital”.として有名であった。 DJB としては8 April 1828からで1910年になり現在の建物となる大改装を開始した。建設設計事務所はBiro Arsitek “Ed. Cuypers & Hulswit” で第1期は“Binnen- inieuwpoorstraat” (現在のJl. Pintu Besar Utara)側で、第2期は1922年金庫室、文書室、大会議室、ガレージなどを整えた。第3期は1924年に裏側のカリブサールまで拡大し、又“Javabankstraat” (現在のJl. Bank),の建物を加え北側で第1期と繋がった。手直しは1937年まで継続している。 1828年のDJBの創設は前任総督のファンデルカペレンと財政失敗と同時に起こったデポネゴロ戦争の戦費調達を種々財政改革しながら担当したデュ・ビス(デ・ヒシニース)総督である。 この銀行は1951年に国有化され、1953年に現在の中央銀行Bank Indonesiaを設立し資産を引き継いだ。 De Javasche Bankは貨幣の流通をつかさどる中央銀行と民間融資を行う商業銀行の二つの機能があり、これをBNIと分けあったのが1950~60年台である。但し1968年まで、政府の経済政策の下請け的に融資部門も存続した。 以降の歴史は省略するが、融資部門を持つDJBは全国津々浦々に支店を持っていた。 それを書き出すと当時のオランダの支配が行き届いていたことが実感される。 Bandjermasin, Bengkalis, Bandoeng, Cheribon, Jogjakarta, Kediri, Koetaradja, Makassar, Malang, Medan, Menado, Padang, Palembang, Pematangsiantar, Pontianak, Semarang, Soerabaja, Soerakarta, Tandjoengbalai, en Tandjoengpoera. 当時のオランダ語で書かれていてわかりにくいがTandjoengpoeraはLampung(もしくは北スマトラの補助店かも)であって流石、東インドネシア・パプアには無い。 私が知るジャワの4大支店はEduard Cuypers,M. Hulswit, A. Fermontの合同事務所の傑作である。 ここではもう写真も撮ることは出来ないだろうJogjakarta支店を挙げておこう。我々の発音するジョクジャはオランダ時代の綴りだったのである。 Bank Indonesia Yogya from Agoda