今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

イ経済もうすぐ世界4位、日本は30位
少しセンセーショナルな書き方であるが参議院選挙もあり、各人が政治家に騙されない認識を持つことが重要であるで、その願いを込めたものである。

インドネシアの方では、大統領が来年にも法人税の減税を行う方針をもっており、構造改革を推し進め、インドネシアの経済規模を2045年に世界4位に引き上げる展望を持っている。  たまたまインドネシアの動きを見ているが今はまず進んでいると言える部分の方が未だ遅れていると言える部分より多くなってきつつある。
後進国と言われた国国の中でも、日本にとって参考になることもあると、謙虚な立場にたってほしいものだが、相変わらず日本ではインドネシアすら知らない人間が多いことにがっくり来ることもしばしばだ。
日本では付け足しみたいな、たった2%の増税で大騒ぎ、逆に免税が当たり前のスンバコにたった2%を減税で善政を言い募っている。年金者は年金だけでは生活できない水準で、将来の生活には貯金が必要だと言いながら消費に追い立てる。敵国の美国のお陰で滅びを救われた韓日両国ではあるが、押しつけ憲法とか言いながら再度亡国の道を走っている。
世界2位だと胸を張り、煽てられてきた日本もパーキャピタでいつの間にやら26位にまで下がり後ろにはもう先進国はない所である。 G20ではGDPのランキングが重要視されるが、資源を国土面積、労働力を人口、生産性をパーキャピタとしてその乗数で
国力を見ると現状は下記の通りであるが、将来は追い抜いて行く国々は多いだろう。

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もともと小さい日本は、果敢に改革していかねばならない点は多いだろう。
ジョコウィのニュースからは筆がこうなった。

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インドネシアの世界遺産とその候補

Numeous World heritage in Indonesia

f:id:nishimikyohei:20190706145925j:plainインドネシアKEK Pariwisata 30リストを作って“ジャカルタあれこれ”にアップしたが、この中の大手は殆どブログにしている。
世界遺産は世界全体で1073ケ所あるそうだがインドネシアはたった8ケ所しかない。その地位を見て見るとイタリヤ・中国がトップの54ケ所、日本12位の22ケ所、韓国13ケ所、インドネシア8ケ所は38位、一応アセアントップとは言え、国土・民族・歴史から豪州・Canadaの19ケ所14位くらい、或いはもっと出来るはずだ。

f:id:nishimikyohei:20190707132950p:plain追記:7月7日、昨日ユネスコは大阪が推薦していた百舌鳥・古市古墳群(世界最大の陵墓:仁徳天皇陵世界遺産に認定 これで日本はアメリカ・イランと同率10位となったようだ。

その候補も入れつつ、インドネシアのMy favorite 観光地をMy Brog中心に挙げて見よう。
先ずは世界遺産から
1. ボロブドゥル寺院遺跡群(シャイレーンドラ朝) - (1991年)
2. プランバナン寺院群 (古マタラム王国) - (1991年)
3. サンギラン初期人類遺跡 - (1996年)
4. バリ州の文化的景観 : トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム - (2012年)
5. ウジュン・クロン国立公園 - (1991年)
6. コモド国立公園 - (1991年)

f:id:nishimikyohei:20190706145730j:plain7. ロレンツ国立公園 - (1999年):実は小生これはあまり聞いたことがないと思ったら何のことはない、ここはインドネシアでこのような高山雪山があるのかと驚く4,884メートルのjaya山がある所で、それ以上に人跡未踏の地球の歴史を秘める鉱物資源があることでその保護をも目的の世界遺産であるので、単なる観光見物は遠慮願う非常な価値が高い所である。
8. スマトラ熱帯雨林遺産 - (2004年):ここも観光的にはあまり知られてないがインドネシアの国立公園が3つが重なる熱帯雨林地帯で多くの固有種もあるがメダンから4時間程度北西に向かう程度で冒険観光(違法伐採・密猟)で危機遺産になっている。オランウータンなど学識観光者向きだ。
9. 香料貿易やダーウインの足跡も尋ねるテルナテ・チドレ島
10. ロンボク・マタラム・リンジャニ・マンダリカ
11. クラカタウ・タンジュンレスン・アニエル・チャリタ
12. バンカ・バリトゥン
13. ラジャ・アンパット
14. ブナケン・マナド・サンギヘ
15. トバ湖バタック・メダン
16. マカッサル・ゴア・ブギス・トラジャ
17. パダン・ブキティンギ・ミナンカバウ
18. コタ・トア・バタヴィア
19. 又はコタ・スマラン
20. チレトゥ・スカブミ・プラブハン
21. ブロモ・スメル・・・火山
22. ワカトビ・スラヤール
23. ヨクジャカルタ
24. スラバヤ・マラン・セレクタ
25. トロウーラン・モジョケルト
26. バンタン・ラマ・スンダクラパ
27. 千の島・アンチョール
28. アチェ
29. バリ島は折角だからバツール、シンガラジャなども入れるか、二つくらいの価値はあろう。
30. 序にアンボン・バンカ・ブル島でポルトガルや英国・日本の侍を忍ぶ
適当に挙げて見ても無数にある。全て遺産候補であるが、インドネシアの裕福度に応じていずれ、多くを勝ち取っていくだろう。おもてなしの余裕に尽きる訳だ。漏れがあったら教えてください。  

ジャカルタvs東京 人口最終戦

Great Jakart vs Tokyo, Semi Final

ジャカルタと東京の大きさ比べで東京都とDKIと言う行政面の数字も、市街繁栄メトロポリタンとしても、東京に凱歌が上がったが、それも経済力発展の歴史の違いによるに過ぎなく、それも、国土の7%に過ぎないジャワ島に世界4位の人口の7%が住んでいる以上、DKIの発展につれていずれ、この面でも日本を抜いて行くのだろうか。スンダクラパからバタビアジャカルタへ、その大ジャカルタジャボタベック(Depokが独立しジャボデタべック)と称され序に、それを取り巻く第2の衛星都市群のチランカルタは既に一体化し、面的な広がりを見せている。
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日本の東京都より更に拡大した関東とすると;
東京都は2,191km2 人口13.5百万人 (密度6,169人) 
関東は36,895km2  人口43.8百万人(密度1,188人)である。対し
DKIは  664km2  人口10.6百万、(密度16,023人)で拡大させると
Jabodetabek は 6,392km2 31.6百万人(密度4,958人)加算すべしとして
Cirankarta*   4,884km2  5.8百万(1,191人)では少なすぎるとして(*Cirgon,Serang, Karawang,Purwakarta)
西ジャワとバンタン州全ての合計となると
3州45,548km 人口73.6百万人(1,617人)
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と関東を凌駕することになる。これ即ちスンダ地方(元西ジャワ州)である。スンダ語を話す人口も30百万を超えるのである。しかし180㎞もあるバンドン以東迄含めるのは欲張りすぎだ。元に戻って東京を23区にすれば単純比較はできる。

INPEXとMEDCO

マセラ鉱区を射止めたINPEXは、和文では国際石油開発帝石株式会社と言う会社名でその名前の通り国際石油開発と帝石という二つの会社が合併した日本のトップの石油ガス開発会社である。資源エネルギ庁の資料では日本の自主開発比率は27%で将来40%を目指しており、主体企業にINPEX、三井(物産・石油開発)、三菱、JAPEX、JX、コスモ、出光、伊藤忠・丸紅・住商の名前が見えるが三井・三菱が御三家に食い込む感じで、インドネシアの土地においてもINPEXに続いては三井石油開発が活躍しているようだ。今年2月に三井石油開発がレプソルらと参加する南スマトラ・サカクマン鉱区のガス埋蔵量最大570億立方メートル、過去20年で最大とのニュースがキャッチされた。

国際石油開発はこの日本の開発10社合計の利益面でも投資額の面でも、50%を占める規模であるが、痛快なことに、前身は1966年設立の北スマトラ海洋石油資源開発である。この会社は一時インドネシア石油とか名前を変えていた。2004年にジャパン石油開発と統合し2008年に帝石と合併し現在の名称になっている。

合併された方の帝石はその名前の通り1941年設立の半官半民で戦後民営化されたが名前程のトピックスは知らない。

インドネシアでのプルタミナやPGN以外の民間開発会社はニュースではメドコ(MEDCO)位しか目にしないが、Medcoは1980年Meta Epsi Pribumi Drilling Company (MEDCO)として設立、1992年東カリマンタンTesoro取得、1994年上場、1995年Stanvac Indonesiaを取得、南スマトラで石油を掘り当て財をなした言わば新進である。創始者のArifin Panigoroの純資産は2006年,$815milの第9位であったが2018年$655百万で46位である。2001年弟のHilmi Panigoroが社長に立って更に名前を挙げて来た歴史があり三菱が資本参加したこともある。株価でみると2007年Rp6,000 超えのピークを見たがその後世界経済やアラブの問題等で下降2015年に500のボトムを打ったあと、今、回復途上にある。この動きは原油価格の動きとも似ている。2016年頃のニュースでは銅鉱石、金鉱、水処理などで大口取引を得ている。南スマ以外ではナツナ原油Bブロック、Tarakan、Acheの原油block、スラウエシSenoro LNG、Sarulla地熱が知られている。

5月の投資環境トピックス:経済ニュースはミニ畑にメガトン二つ。

Investment topics May Indonesia
ゴールデンウイークとレバランで経済ニュースはミニ畑にメガトン二つ。
INPEX、マセラLNG鉱区開発権取得200億ドルでエネ相来日。―>6/26合意へ
* 中国ペガトロン、アップル向け部品生産をバタムに移転投資 へ、15兆ルピア

社会法規は後進性丸出し
* 砂糖プラント建設債権回収めぐる訴訟で、シュガーグループが反訴77.5億ドル
* 大統領選がらみのジャカルタ動乱再現、悪役コストラッドなど暗躍、
*  黒装束暴漢主要都市で大暴れ1,000人規模、
* 政府 高官数名の暗殺未遂浮上、
* ブカシではWifiで遠隔操作爆弾など押収、
* プラウボウォは選挙無効をぶち上げて国外へ、
* 選挙の最終は最高裁判決まで持ち越し
* 首都移転は本気か:総事業費323兆~466兆ルピア見込み。候補地はカリマンタンに絞る
* 国営電力PLN社長:発電プロで収賄逮捕やビザ違反見逃し収賄など、汚職の粗さ
* 警視庁が労働問題の専門窓口開設、賃金未払い等労働者からの相談受け付けて仲裁

華人経済人はじっくり分析へ
* スルヤチプタ、インダストリー4.0に向けた研究開発施設を開設。
* モフタル・リアディ社会政治リサーチセンター開所。

記録に:
5/21 みずほとMUFG譲渡性預金(NCD)発行、計2.32兆ルピア。

INPEX マセラ鉱区取得の偉大さ

Great Masera/Abadi


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Gas field Abadi from TribunBisnis
つい先週6月16日、インドマルコの時事ニュースに「INPEX、マセラ鉱区LNG田開発・プラント建設計画でイ政府と正式合意、投資200億ドル規模、来年後半の生産開始が見込まれている。」という報道があった。200億ドルとは大きな金額であるが、年間のLNG生産量は約950 万トンで、日本の輸入量の1割強に相当するという画期的な権益である。2010年には生産に着手し、2055年まで自主精算できるわけでその鉱区の大きさは2,503km2、小生スタイルで比較するとBSDの42個分、或いはパリ市の20倍、バリ島の約1/2の大きさである。


f:id:nishimikyohei:20190624140207j:plain場所アラフラ海のど真ん中、チモールと豪州ダーウインの中間点の海底となる。Shellとの合弁で日本側が65%を抑えている。
素人ながら数字をいじってみるとLNGの1トンは約10.5バーレルとのことだから、9,500,000トン x 10.5 Bl /365=273,000バーレル/日となるのだろうか。この点を探るために数字集めなどをした結果
1. 経産省の日本の石油・天然ガスの自主開発引き取り量は、H29年時点で石油換算で145~153万バーレル・日である。これは総需要の27%である。逆算すると総需要(=総輸入)は558万BDとなる。
2. 経産省エネ庁の別の報告資料では2015年原油輸入は337万BDでインドネシア比率は1.7%、自主開発輸入は8,505万トンでインドネシアの比率は6.9%である。
3. 上記2は原油のみとして、且つ年度の差は無視して、337万BDと558万BDの差はガスとすると、ガスの8,505万トンは同様 10.5 Bl /365 =245万BDとなる。おおむね一致する。
4. 上記2の8,505万トンに対しマセラは950万トンならそれは11%で報道と一致する。その時インドネシア全体が6.9%ならマセラはその時のインドネシア全体のLNGに匹敵或いはそれより大きい数字である。又LNG全体245万BLの11%は上記273,000BDと一致する。ここまででの結論は、マセラの950万トン=27万BD=石油ガス総輸入558万BDの5%、にもなるということである。更に色々先を考えると疑問は尽きないがブログでやるテーマではないのでここで筆を置く。

老舗メガネ屋 Lyly Kasoem

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Kasoem 2015
Dharmawangsa のHandokoから迷い込んだHanson InternationalのBenny Tjokrosaputraの祖父はKasom Tjokrosaputraであったが、このKasomと見間違った名前にKasoemがある。ジャカルタで見るインドネシアのメガね業界は大手が支配しており、大きな新しいMallには殆どこの眼鏡屋が店をだしている。その一つがLyly Kasoemである。創業者はA .(Atjoem) Kasoemで1916年生まれ(1979年没)、ガルット出身である。彼は貧農の息子であったがオランダの眼鏡屋で働く伝手があったのかそこからドイツ人経営者が事業を引き継がせる目的で修行させ、終にはこの店を購入し、最後は眼鏡の工場まで運営したが、この工場自体は金融危機の際に閉鎖されている。
彼はインドネシアでは初めてのプリブミの事業家となったが、やはり、当時華やかなオランダ植民時代の新しい文化を謳歌していたオランダ人の店の丁稚奉公から始めたのが成功したのであろうか
現在は娘さんになろうか第2世代のIra Kasoemが頑張っている。彼女自身は従来のLily Kasoem Optical ラインの他にLily Kasoem Atelierを作り、高品質で手ごろな価格をモットーに競争力を維持している。ブランドはデンマークLindberg 、パリのAnne & ValentinやMykita、Cutler & Gross、Moscotなど輸入ものが多いが、日本の自慢物は及びではない。OutletはPlaza Indonesia や Pacific Place、他に最初の店Bandung、Yogyakarta、Semarang、Surabaya、Denpasarなど12を数える。ジャカルタのチキニラヤ通りに大きなKasoemの店があるが、2015年当時2階を増築し訓練センターになっていた。 この記事は ジャカルタ今昔あれこれ2の続きとなっている。 奥ゆかしさで日本のCMと比較できる。

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a kasoem 2008