今さら 日イのはてな

「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

ASABRI事件・リクルート事件から現代日本

日本では最大の汚職事件はリクルート事件であるが、インドネシアのASABRI事件とは、株を操作した点は少し似ているが日本の場合は損を被ったのは一般個人である事が多く、リクルート事件で利得を得た政治家など多くが今もぬくぬくしているのではないかと疑念がわく。リクルートはそのまま存在しているのかな。

それでも、政治家で更に銅像を建てる話はないと思うが。。。

しかし時々、政界・TV界などで何かに洗脳されているような事件や人間が出て来て驚くことは多い。

例えば韓国発の何とか団体が洗脳の代表だ。 忖度・選択肢に次ぐ報道界が好む流行言葉である。

インドネシアと長く付き合った小生には、宗教・信教とは政府が認めた5つ(6つだったかな)だけであって、この例えば三位一体の神に比す存在に生身のものが神を騙るなど国家反逆罪・冒とく罪も伏す大罪である。

生き方や苦悩・煩悩の中を生きる知恵・言葉はそれ自体が崇高だが宗教ではない。

憲法がスタートであってはならない。その奥から、或いはゼロから真のあるべき点から現在の在り方を考えることだ。今の國が選ぶ専門家はそれが出来ないだろう。 

専門家は専門分野の壁に助かって生きている、巣くっているともいえる。

一人さんなどに聞いて見ると良い。多くの人が感涙をながしている。そして皆税金を払って堂々と生きている。

話しは飛ぶが、TVは色々な事件・事故を報じるが、伝える事だけが仕事であると言う制限的法律が独占的安住の助けになっている。そしてそのやっつける先は事故った、誤った個人である。

例えばバス横転事故では最初から現行犯逮捕と表現している。何か車の引き起こす現象があったという事は無視して、やっと今頃出てくる。

知床では、海難救助体制とか行政監督・支援体制とか、通信設備体制の不備・不徹底は問われないか、気付いた時はもう遅く何も改善されない。

個人より先に社会に目を遣るべきだ。悪事は元から断つという発想がない。小生は自分自身にこれを突き付けて悲劇の淵にたってはいるが。。