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「ジャカルタ新旧あれこれ」の合間に

アヨーディヤー



ジャカルタにAyodyaと言う公園ができたのはいつだったか、できてすぐ見に行ったが植樹も疎らで他に見る事もなく一回りで後にした。写真を見ると2009年である。


現在の上空からのビューでは緑深い中にあり後に感銘することになる。

それ以来このサンスクリット系の名前は憶えており途中2017年には、バリのアヤナ・ホテルがNo1のホテルに選ばれたとき、パドマ・ホテルやこの名前を冠したアヨデイア・ホテルとともにバリは涅槃 となぞらえたが、つい最近、ここがそうだったのかと行き当たった事件があり、それを今日また思い出したのだ。それには長いヒンドゥの歴史をさかのぼらねばならない。

 

アヨーディヤー(古代にはサケタとも呼ばれ又アワドとも)はインド北部にある、仏教にも由緒のあるし、ヒンドゥー教の神聖な都市である。紀元前3世紀にはマウリヤ朝アショカ王も施政され、またインドの偉大な叙事詩ラーマーヤナの中でラーマの誕生の土地とされる。

11世紀からイスラムが到来、13世紀デリー・スルターン朝が成立したのちも、アワドは重要な地域とされた。

16世紀以降、イスラムムガル帝国支配下にはいるとアワド太守が設置され、アヨディアにモスク、バブリー・マスジドが建てられ、18世紀帝国が衰退した後もアワドには地方政権を存続した。バブリー・マスジドの土地はヒンドゥー教徒のラーム・ジャンマブーミ寺院と被っており両方にとって重要な場所をめぐる、宗教間の緊張の中で199212月6ヒンドゥー教強硬派に扇動された暴徒によるバーブリー・マスジド倒壊事件が起こり、この後インド各地で宗派間暴動が頻発、イスラーム教徒を中心に2,000人が死亡する事態に発展した。調査委員会が結成されたが、報告書は2009年にやっと出され2010年の裁判所の判決は、ヒンドゥー教徒イスラム教徒の間で土地を分割したが、その決定は2019年に最高裁判所によって覆され、最高裁は跡地をヒンドゥー教徒側に引き渡し、イスラーム教徒側には代替の土地を割り当てる判断を下した。そしてここにヒンドゥー教寺院ラーム寺院(ラム マンディール)が再建され、この2024年1月22日に、全国的な厳戒態勢が敷かれる中で落成式を挙行、政治的なイベントと言われる混乱の中、約8,000人が招かれ、首相のモディも出席した。

インド政府によって設立された施設は28 ヘクタールの敷地に広がる神殿群で段階的に建設される予定で、第1段階は奉献式に間に合うように完成した。

Mapで完成写真をとトライしたがなぜかきれいのはなくその上、その名称のRam Mandiriは多くあり、町中が石作りの寺院だらけのまちであった。

タイの古都アユタヤ、更にはインドネシアの古都ジョグジャカルタアヨーディヤーの名に由来するそうだ。

ヒンドゥは寛容の宗教だろうと思われるが、同じ寛容の仏教とはうまくいくがユダヤイスラムとは駄目だろうと推察する。

因みにアヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味するらしい。